1.最後の165系

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 「おさらい旅行」への変化

  毎冬恒例となっている雪見旅行だが、2001年始、2002年始は、航空機の正月特割を利用してひとっとびし、そこから鈍行乗り継ぎで帰ってくるというパターンが続いた。しかし今回は、青春18きっぷだけのプラン。ズバリ、「予算2万円の旅」と銘打っている。

  鈍行をひたすら乗り継ぎ、夜は夜行快速で車中泊。余分な交通費はかからず、宿泊費も不要。これが最もリーズナブルに移動距離を伸ばせる旅行スタイルだ。20代前半の時期には、そうやって鉄道路線を「新規開拓」してきたものだ。ところが、毎年そうやって雪見旅を繰り返してきた結果、乗り継ぎパターンがネタ切れしてきた。さらに切実な問題として、最近では連続車中泊が体力的にきつくなってきた。できないことはないが、そのせいで気分が悪くなったり、居眠りを繰り返したりして、これじゃ何のために旅行しているのか分からない。

  そんなわけで、過去2回は片道を飛行機とした上、ホテル泊を挟んで、北海道、東北まで遠征したのだった。しかしこれだけ足を伸ばせば、当然費用もかさむ。そこで今回は規模を縮小、2日半の日程で車中1泊、ビジネスホテルで1泊とした。

  コースも、96年始旅行の逆周りルートに、磐越西線・只見線の「寄り道」を加える格好。新しく乗る路線は磐越西線だけで、目新しさはほとんどない。いかに遠いところへ行くか、いかに未乗路線をつぶすか、という考えでやってきたこれまでの旅行の中で、惜しくも立ち寄り損なった場所、もう一度じっくり見てみたいと感じた場所は数多い。そういうところに今、改めて注目してゆきたい。これからの乗り継ぎ旅は、そんな‘おさらい型’になってゆくのではないかと思う。

 東海道 東へ東へ


 2002年12月31日
 神戸→名古屋→品川→新宿(→新潟)
  灘 13:05 → 芦屋 13:16 [普通/電・201系]
  芦屋 13:17 → 米原 14:48 [新快速 3328M/電・223系]

  さて、所用により昼からの出発となった2002年の大晦日、今回は東海道線灘(なだ)からの旅立ちとなる。この31日は、新宿を深夜に出る「ムーンライトえちご」に乗るべく、東海道本線をひたすら東へ、わき目もふらずに乗り継いでゆくことになる。芦屋で新快速に乗り換え。さすがに立ち客が多いものの、大阪での入れ替わりの隙をついて座席を確保。ここから米原までの長丁場、座れるのと座れないとでは大違いだ。

  滋賀県に入り、荒涼とした田園地帯を進みだすと、新快速も停車駅が増え、足元がスースーしてくる。はるか北方、琵琶湖の対岸側に、雪を被った峰が連なる。車窓のこんな景色ひとつひとつに、期待を感じて心ときめく。これが所用で列車に乗っているときだと、同じものを見てもそこまで心動かされることはない。やはり、旅は童心に返る時なのだと思う。

  米原 14:58 → 大垣 15:30 [普通 3210F/電・211系]

  米原では、次の大垣行きに10分の接続。9両編成の新快速を降りた乗客の大部分がホームにとどまり、そのまま大垣行きに並ぶが、次の列車はなんと3両編成! たまたま並んだ場所が良くて、座席にありつけたもののロングシート。目の前には立ち客がぎっしり。関ヶ原あたりまで、背中の後ろの窓の外には雪景色が広がっていたが、とても外を眺められる状況ではなく、じっと座って大垣到着を待つ時間の長く感じられたこと。

と言いつつ、何とか向き直って撮影した、窓の外の雪景色 

  大垣で新快速に乗り換え。3両に詰め込まれていた乗客がどっと下車し、その大半が跨線橋を渡って、ぞろぞろと移動。この状況で接続時間2分とは、厳しい。この状態が恒常的なのだとすれば、JR東海もなかなかシビアなことをしてくれるな、と思う。

  大垣 15:32 → 名古屋 16:04 [新快速 5240F/電・311系]

  新快速は6両編成で、客が分散したおかげで、余裕で着席できた。東海新快速の真骨頂、岐阜から名古屋にかけての激走を楽しむ。外はすでに夕刻の雰囲気。冬の日は短く、これから長〜い夜がやって来るのかと思うと、気分が萎える。この新快速は豊橋まで行くが、その先の接続は、15分後に走る特別快速と結局同じになるので、名古屋で下車する。

  駅を出るほどの時間はないので、何か面白いものはないかとホームを巡っていると、なんとボンネットタイプの特急電車の姿を発見。臨時特急「しらさぎ82号」の到着だった。この列車お目当てのファンも数名おり、一緒に混じって写真撮影。「しらさぎ」は2003年にはオール新型車化され、ボンネットタイプの485系も近々全廃と聞いていただけに、思わぬ収穫だった。同時に、こんな当たり前に走っていた電車が、もう見る機会もないのかと思うと、一抹の寂しさも覚える。

風前の灯、ボンネット485系の「しらさぎ」が名古屋に到着 

  名古屋 16:15 → 金山 16:18 [区間快速 4544D/気・キハ75]

  名古屋から2駅先の金山まで、特別快速に先行する「区間快速」に乗車。大府から武豊線に入るディーゼル列車で、伊勢方面へのアクセス快速「みえ」や、奈良への急行「かすが」にも使われる、キハ75という車両だ。それだけに、特急に準ずる高級感ある内装で、ひと区間だけ乗るのは何となく気が引ける。しかし一方、運転席上部に目を移すと、ワンマン運転用の運賃表示機が。JR東海車両は、優等用とローカル用で大した差別化をせず、どこでもマルチに使える仕様になっているのが特徴となっている。

  金山 16:23 → 浜松 17:38 [特別快速 5114F/電・313系]

  名残惜しい気持ちで区間快速を降り、続行してきた浜松行き特別快速に乗り換える。「特別」と言っても、停車駅は新快速と比べて大府を通過するだけの違い。平坦な線路を、電車は時速110〜120kmのハイスピードを維持して駆け抜ける。

  ところが、ある駅の手前で電車が不意にスピードを落としだした。あれ、停車のアナウンスはなかったのに…。すると、車掌が慌てて運転士に合図を送る。それを受けて電車は再加速。通過した駅は「大府」。乗務しているのが新快速だと勘違いしたのだろう。運転士も人の子だ。

  ついに濃尾平野に日が沈み、乗客をしだいに減らしながら列車は東進。豊橋からは各駅停車となる。芦屋からここまで、米原〜大垣間を除いてずっと快速で駆け抜けてきたが、ここを境に一転、一駅一駅丁寧に停まりながら進むことになる。

  17時38分、浜松到着時には外はすでに真っ暗。この暗闇の中をあと5時間あまり、新宿目指して延々と走るのだ・・・。

浜松で313系(右)から113系(左)に乗り換え 

 各駅停車でじっくりと

  浜松 17:52 → 静岡 19:05 [普通 5792M/電・113系]

  浜松から乗車した静岡行きは、今や「旧式」の代名詞ともいえる113系。これまで快適な新型快速にばかり身をゆだねてきたぶん、ゴツゴツした乗り心地が一段と気になる。名古屋近辺ではほとんど新型車ばかりだったのが、静岡県入りしたとたんに113系の独壇場。JR東海は静岡県民の反感を買わないのだろうか。

  もう世間は年越しモードに入ったのか、客の流動はぴたりとやみ、8両編成の先頭車にはだれも乗ってこない。天竜川、大井川と2つの大きな川を渡り、静岡へ。次の列車まで約30分。食料調達のために改札を出る。灘から6時間、7本の列車を乗り継いできたが、改札を出るのはこれが初めて。もっとも、名古屋・浜松・静岡と、どこを取っても似たり寄ったり、いかにも新幹線駅という雰囲気で、あえて降りてみようという気にはならない駅ばかりだった。

  静岡 19:34 → 品川 22:31 [普通 366M/電・373系]

  次の静岡19時34分発の東京行きは、なんと、特急「東海」用車両、373系を使用する普通列車だ。これは、深夜に東京を出る夜行快速「ムーンライトながら」用の車両を送り込むための列車で、品川から山手線に乗り換えれば、新宿発新潟行きの「ムーンライトえちご」にうまくつながるという、18きっぷユーザーにとってはまさに「黄金リレー」。それを知ってか、列車の入線前に、すでに並んでいる人が少なくないものの、乗り込んでみると余裕で着席できた。

  特急用とはいっても、この373系、ドア部デッキの仕切りは中途半端で、車内の雰囲気を見ても、特急の「貫禄」めいたものは感じられない。まあこんな車両だからこそ、夜行快速や鈍行列車にもためらいなく使用できるというわけだ。もちろん18きっぷユーザーとしてはありがたい存在で、贅沢を言える立場ではないが、これが料金を徴収する「特急」ならば話は別、大いに不満のある電車だろう。

一応「特急車両」の373系で、品川までを優雅に過ごす 

  もちろん、一応は「特急車」なので、走りは静かで軽い。座席もゆったり。ただし、デッキが独立していないために、駅のアナウンスや車掌の笛の音が筒抜けで入ってくる。連結部のきしみも気になる。

  全長8km近い丹那トンネルで箱根の山を突き抜け、熱海までくれば、いよいよJR東日本エリア入りとなる。しかし、東海道線の旅は、「関東」に入ってからがまだ長い。豊橋以西と比べると格段に緩慢なペースだから、なかなか東京に近づかない。まあ、急ぐこともない。車内もすいているので、静岡駅で買い込んだビールとおつまみでくつろいで過ごす。

外が見えないぶん、ビールでゆったり 

  しかし小田原あたりからは目に見えて客が増えだし、平塚までくると座席が埋まって立ち客の姿も。こうなると、通路の狭い特急型では窮屈になってくる。この人たちはこんな時間からどこへ行く? 初詣? 鈍行乗り継ぎ旅をしているといつも経験することだが、首都圏に入ると、夜中の上り列車でもなぜか乗客が増えてゆく。彼らはこんな時間から一体どこへ行くのかと、いつも不思議に思う。

  すっかり都会然としてきた窓の外のあかりを眺め、2002年もあと2時間を切ったなと、少しばかり感慨にふける。品川到着は22時31分。灘から9時間半、ひたすら駆け抜けた東海道本線の旅はここまで。ノートを見返すと、面白いことに気づいた。東海道線で乗り継いだ8本の列車を挙げてゆくと、201・223・211・311・キハ75・313・113・373と、すべて別の種類の車両だったのだ。

 年越しは消えゆく電車で

  品川 22:38 → 新宿 22:57 [普通/電・205系]

  山手線で新宿へ移動し、ここから乗るのが夜行快速「ムーンライトえちご」。96年の正月(当時は「ムーンライト」を名乗っていた)の初乗車以来、「雪見旅」の定番列車として毎年のように利用してきた列車で、今回と同様に車内で年越しを迎えたこともある(97〜98年)。だが8回目の乗車となる今回は、特別な意味を帯びている。

出発を待つ「ムーンライトえちご」 

  2002年の春に西日本の原色(湘南色)165系が引退し、定期的に運転される165系はこの「えちご」の車両だけになっていたが、この列車もついに2003年春で置き換えられることになったのだ。すなわち今回の「えちご」が正真正銘、165系のラスト乗車となる。紀州の165をはじめ、クモハ42、可部線など、何かと「お別れ乗車」の多かった2002年を締めくくるにふさわしい列車といえるだろう。

  新宿 23:09 → 新潟 4:56 [快速「ムーンライトえちご」 3763M/電・165系]

  そんなわけで、最後の165を十分味わっておこう。車内には、窓とピッチと合わないリクライニングシートが並び、もとの165系の印象は薄い。しかし動き出せば、やはり30年以上前の電車。座席が車両の端、台車の上に位置するので、振動、モーターの音が底から響いてくる。座席そのものにもガタがきていて、車両の振動にあわせて、伸び縮みするような揺れが生じる。眠るには不都合だが、乗り心地を堪能するには都合が良い。

  大宮を過ぎると車掌が来る。その後うとうとしていると高崎。「皆様、明けましておめでとうございます」というアナウンスに、「そうか、もう2003年に入ったんや・・・」と感じたか感じなかったか、そしてまたすぐに寝付いた。耳栓をしていても走行音は聞こえてくるが、ふと目が覚めるのは不思議と、大抵は電車が停まっているときだ。ガタンゴトンという連続音は、意外と眠りを促進するリズムなのかもしれない。

  いつしか外の地面には雪が積もり、窓ガラスには結露した水滴がびっしょり。「えちご」が走るのは終始闇の中だが、雪国に入ったことは一目瞭然。電車はモーターを高鳴らせ、新潟目指して最後の力走。

  まだ車内にけだるい雰囲気が充満する中、皆が下車の準備を始める。新潟到着は4時56分。冬の長い夜は、まだ全く明ける気配がない。目が覚めないのと、この電車が名残惜しいという両方で、もう少しゆっくりさせてもらいたいところ。しかし、以前は村上まで乗り入れていた「えちご」も、今では新潟止まりとなり、全員強制的に降ろされてしまう。

  降りたホームで、空っぽになった「えちご」を外からもう一度眺める。何度もお世話になりました。と心の中でつぶやき、もう会うことのなかろう165系に背を向けたのだった。

夜の上越の番人とも、今宵でお別れ 

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