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 春近い雪国の夜明け


 2006年3月6日
 (灘→)金沢→雨晴→城端→金沢→福井→神戸

  この冬は冬将軍が大暴れして北国は豪雪、ただでさえ雪の多い只見線などは長期の運休を強いられる有様。そんな厳しい冬を経た初春の北陸へ、今回は出かけてみる。

今回は灘駅からの出発 

  灘 20:44 → 芦屋 20:56 [普通/電・207系]
  芦屋 20:58 → 大阪 21:13 [快速 834T/電・221系]

  夜の駅から列車に乗り込み、まずは大阪を目指す。今回は、往路は夜行バスで一気に金沢に入り、そこから富山や福井などに立ち寄りつつ、1日がかりで戻ってくる計画だ。夜行急行「きたぐに」を使うという選択肢もあるが、到着が早すぎるのと、コスト的なことを考慮し、夜行バスというものに初めてトライしてみることにした。夜行列車での車中泊スタートはこれまで何度もしているが、スムーズに寝つけたことはあまりない。果たしてバスならどうか。

 大阪 22:10 → 金沢 5:15 [夜行バス「北陸ドリーム大阪号」]

  改築工事の進む大阪駅で適当に時間をつぶし、バスターミナルへ。今回利用するのは、西日本JRバスの「北陸ドリーム大阪号」だ。指定されていた座席は、2階の一番前。足元が若干窮屈だ。3列シートは気兼ねがない半面、中央の席だと寄りかかるものがなくて心もとない感じもする。

  いざ走り出すと、バス特有のボヨンボヨンとした揺れが気になる。高速道路に入ると比較的安定するが、やはり馴染めない。列車の規則音は(鉄道ファンとしてのひいき目もあるが)やはり偉大だなと思う。いつしか外は雨が降り出した。外は真っ暗だが「北国入り」を実感する。

  寝たのか寝ていないのかよく分からない状況のまま時間が過ぎ、早朝の金沢駅前へ。このバスは富山まで行くので、うかうかしていると乗り過ごしてしまう。寝ぼけ眼のまま降り立つ。独立した3列席で5,000円もかけずにここまで移動できるのだから、移動手段と割り切ればさすがのコストパフォーマンスだが、旅のプロセスを楽しみたい者としてはあまり進んで利用したくはないな、とも感じられた。

  5時を過ぎたばかりの金沢駅に、人影はほとんどない。今回は1日分だけ「青春18きっぷ」を利用するので、ここで日付を入れる。まず目指すは、石川と富山の境にある倶利伽羅(くりから)峠。特に思い入れがあるわけではないが、通るたびになんとなく気になっていた場所だ。

  金沢 5:24 → 津幡 5:37 [普通 821M/電・681系]

「サンダーバード」車両の普通列車 

  七尾線に入る下りの一番電車は、「サンダーバード」用の681系。早朝や深夜だと時々、普通列車にこうして間合いの特急車両が入る「乗り得」な列車に巡り合える。禁煙車ではなかったので室内はタバコ臭かったが、津幡(つばた)まで少しの間、快適な乗り心地を楽しむ。

  津幡 5:52 → 倶利伽藍 5:58 [普通 421M/電・475系]

  津幡からひと区間、倶利伽羅へは、元急行車両の475系。モーターをうならせて倶利伽羅峠へと挑んでゆく。

  峠を越える手前に、倶利伽羅駅がある。長い島式ホームに自分一人を置いて、電車は走り去っていった。金沢あたりでは見られなかった積雪が、沿線に残っているのが認められる。小雨が降り、空気が湿っぽい。空はようやく明るみを帯びてきたところだ。

  こじんまりした無人の駅舎を通り抜け、少し駅の外を歩く。暗がりに浮かぶ雪の白さと、濡れた路面に反射する街灯が、人けのなさと相まって、幻想的な雰囲気を醸している。ここから見える景色に「峠」と呼ぶほどの険しさは感じられないものの、金沢側からくれば「どんづまり」の感があり、昔は国を隔てる交通の要衝だったのだろう。この時間からすでに、北陸本線は特急列車が頻繁に行き交っている。ただし、山間の小駅・倶利伽羅には見向きもせずに通過してゆく。

山間に位置する倶利伽羅駅 

  ホームに戻り、列車を待つ。もう十分景色が識別できるほどに明るくなってきたが、小雨に煙る峠の夜はまだ明けきらない。先に対向列車が入ってきたが、だれも降りず、乗る人もなく、何事もなかったかのようにそのまま去って行った。

だれもいないホームから電車が出る 

  倶利伽藍 6:32 → 高岡 6:52 [普通 423M/電・419系]

  私一人を乗せて倶利伽羅駅を出た下り列車は、まもなくトンネルに入る。ここを境に富山県、もとの越中へと入り、砺波平野へと下ってゆく。

 氷見線と城端線

  高岡からは2本の支線が分かれている。富山湾へと向かう氷見(ひみ)線と、内陸へ向かう城端(じょうはな)線だ。そのうちの氷見線にまず乗っておく。1995年に終点の氷見まで往復しているが、そのときに気になった雨晴海岸に立ち寄ってみたいと思う。

  高岡 6:58 → 雨晴 7:17 [普通 525D/気・キハ40系]

  氷見線・城端線の気動車は、えんじ色基調の独特な塗装。氷見線の列車は、他とは離れた汽車風のホームから発着する。そろそろ学生の姿も目立ちだす。

  氷見線は、短いながらも変化に富む路線だ。高岡市街から郊外へ移ると、伏木あたりでは工場群が近づき、臨港貨物路線の様相を呈する。そして越中国分から先、富山湾が右手に近づく。ここから雨晴にかけてが、最大の見どころとなる。海岸線に沿ってカーブを描く列車。間近に海が迫り、男岩、女岩とよばれる小島が車窓を流れてゆく。

海岸を進む。背後には能登半島 

  そのさまを眺めているうちに、列車は雨晴(あまはらし)に到着する。ここで下車し、折り返しの列車が来るまでの半時間ほどを過ごすことにする。

  駅から少し高岡側に戻った海岸沿いに、「義経岩」という岩が張り出している。源義経が弁慶とともに奥州へ逃れる途上、ここで雨宿りをしたと伝えられ、「雨晴」の地名の由来ともされる。天気が良ければ富山湾を隔てて立山連峰が望めるという絶景スポットだが、この空模様では望むべくもない。空はぼんやりと明るくなってきたが、相変わらず小雨がぱらつき、雨宿りをしたところで晴れる気配はない。砂浜にゴミも目立ち、足を運んだ割には期待はずれな内容だった。

朝の雨晴海岸。義経岩と女岩 

  雨晴 7:41 → 高岡 8:02 [普通 524D/気・キハ40系]

  高岡行きの列車は4両編成で、学生で混雑していた。ちょうど通学のピークのようだ。もう10年以上も前の、自分の電車通学を思い出す。当時は授業での小テストに備えて、車内で参考書や単語帳をにらんでいたものだが、学生たちは電子辞書で調べ物をしており、これが今風のスタイルなのだなと隔世の感を覚える。

氷見線、城端線の車両 

  さて高岡からは、もうひとつの支線である城端線に乗る予定にしているが、その前に一旦富山へ向かうことにしていた。その目的は、今や希少な存在となってきたキハ58系の列車に乗ることだ。かつて急行用気動車として全国で活躍し、最近まで広く残存していたこの車両も、急激に勢力を減じつつある。北陸では城端線に残存するが、行程上、乗れるのは高岡から富山に乗り入れる列車のみ。今回、わざわざ早朝から北陸に乗り込んだのは、これに照準を当ててのことだった。ところが・・

  到着したホームは、下車した学生でごったがえし、思うように進めない。しかも氷見線のホームは他と離れている。乗り換え時間は数分、これは無理だなとあきらめる。果たして、富山行きがいたはずのホームにたどり着いた時には、すでに列車の影も形もなかった。

  結局、駅の内外で1時間ほど時間をつぶす羽目になる。駅前からは「万葉線」の列車が発着している。外国の路面電車をそのまま持ってきたかのような、場違いにスマートな電車だ。この万葉線、もとは加越能鉄道という会社が運営していた。加賀・越中・能登三国の名をとったあたりに開業時の壮大な志をみてとれるが、経営難から鉄道を手放し、第三セクターが引き取って運営している。同様に、元JR富山港線を第三セクターが引き受け、市街地部分を路面電車化した「富山ライトレール」の開業もこの4月に予定されている。地方鉄道の経営はおしなべて厳しいが、雪国だけになんとか鉄道のかたちで存続を、という意識が高いのだろう。

万葉線の電車 

  高岡 9:06 → 城端 9:54 [普通 329D/気・キハ40系]

  城端線は、高岡から南西方向へ、砺波平野をほぼまっすぐに進む路線で、今回が初めての利用となる。終点城端へ向かうのは1両のワンマン列車。通常のえんじ色ではなく、「忍者ハットリくん」のデザインが施されている。原作者の藤子不二雄A氏が氷見出身という縁で、氷見・城端線の車両の一部にラッピングが施されており、その1両に当たったことになる。なお、相方だった藤子・F・不二雄氏は高岡市出身。藤子漫画・アニメの全盛期に生まれ育った世代としては、そのルーツとなる地にいるというのが感慨深い。

  朝のラッシュはひと段落ついたが、まだ学生の姿もある。ただしその大半は戸出(といで)で下車し、車内は閑散としてきた。一部の側窓には、外からハットリくんの柄が見えるように縞々のフィルムが張られており、車内から見るとその部分が暗い。

  内陸へと進むにつれて、前方に雪山が近づいてくる。南側と西側に山地が連なり、袋小路に入るような格好になる。沿線の平野部にも次第に積雪が目立つようになり、やがて田畑の全面を覆うまでになった。福光から向きを南東に転じ、そろそろ平野が尽きるか、というあたりで、城端線は突如終わりを告げる。終点の城端だ。

  城端駅は水色に塗られた木造の駅舎で、行き止まりの線路の先には数十センチの雪がうずたかく積もっている。駅を出るとすぐ前を、国道304号が通っており、線路が途切れたその先をさらに直進し、山脈に挑むように続いている。山を越えたその向こうには、合掌造りで有名な五箇山が位置する。

城端駅。単行気動車が折り返す 

  正面に連なる山々は全体にわたって雪をかぶり、これを見るとまだまだ春の訪れは遠そうに思える。

南方に連なる山々を望む 

  城端 10:08 → 福光 10:15 [普通 332D/気・キハ40系]

  ハットリくん列車がそのまま折り返すので、それに乗って、もと来た道を引き返す。ただし高岡までは戻らず、福光で下車する。福光から金沢へ抜けるバスに乗って近道をしようという算段だ。

  このバスは西日本JRバスによる運行で、「名金線」を名乗っている。「金」は金沢の「金」だが、「名」はどこからきているかといえば、名古屋の「名」である。元をたどれば、名古屋と金沢を結んだ国鉄バスがそのルーツで、1974年の時刻表を見ると、岐阜駅・美濃白鳥駅(越美南線、現長良川鉄道)・城端駅・福光駅を経由し、10時間弱という気の遠くなるような時間をかけて直通していた。のちに分断され、名古屋側はすでにJR東海が撤退。JRのバス路線として唯一残っているのが、この福光〜金沢間だ。もはや名古屋は遠い彼方だが、本州縦断路線の歴史を伝えるためか、「名」の字は今も残っている。

 福光 10:20 → 森本 10:58 [JRバス]

  自分ともう一人の客を乗せた金沢行きのバスはおおかた国道304号をたどり、北西方向へ進んでゆく。北陸本線・城端線・名金線で横長な三角形を形成しており、バス路線は倶利伽羅峠の南で県境を越えることになる。

  少しずつ乗客を増やし、山越えへとさしかかると、再び積雪が増えてくる。道路は除雪されているが、道端にはかなり残っている。バスは後続に道を譲りつつ、慎重に進んでゆく。こういう光景はバスならではだ。現在よりずっと道路事情が劣悪だった時代に、中部の険しい山越えを繰り返す半日近い行程とは、いったいどんなものだったのか。今となっては経験したくても、しようがない。

バスで金沢方面へと抜ける峠道 

  バスは金沢まで行くが、市街地に入ると時間がかかるので、北陸本線の森本駅前で下車する。北陸線に沿って北陸新幹線の高架がすでに造られ、森本駅はその足元に新調されている。北陸新幹線に関しては、なかなか煮つまらない問題が多いようだが、こういうところには行動が早いものだな、と思う。

  森本 11:08 → 金沢 11:14 [普通 426M/電・475系]

 雪国の「半路面電車」

  ‘三角形’を一周して、夜明け前に夜行バスで到着して以来の金沢駅に戻ってきた。今後の予定としては、福井から越美北線に入り、終点九頭竜湖まで往復しようかと考えている。越美北線の一乗谷より先はまだ乗ったことがない。2004年夏の水害から1年半以上を経た今もなお、途中の一乗谷〜美山間が不通で、越前東郷〜美山間がバス輸送となっている。そのあたりの様子も気になってのことだ。

  金沢 11:34 → 小松 12:05 [普通 338M/電・475系]

  石川県内での北陸本線は、単調だ。遠くに雪山が望まれるものの、沿線に積雪はなく、特に景色の変化もない。

  そうこうするうちに、そろそろ夜行バス車中泊の疲れが出てきたらしく、頭痛の兆候が。車中泊明けの日というのは、たいていどこかで悪影響が出るものだが、居眠りならともかく、頭痛となると何も楽しめず、むしろ行程そのものが苦痛になるから、たちが悪い。

  ここで無理をしても仕方ないので、越美北線入りは断念して、途中下車などしながら素直に神戸を目指すことにする。越美北線はせっかくの未体験ゾーン、鉄道として再開したあかつきに乗りに行くことにしよう。今回は、事前の計画が意味をなさないチグハグさが目立つ。

  そういうわけで気分転換を兼ねて、さっそく小松で下車してみる。真新しい高架駅で、ホーム全体がドーム状の屋根に覆われている。雪や雨が多いので、実用を兼ねているのだろうか。駅を出ると、駅前に新幹線駅の予定地とおぼしきスペースがあり、なるほどなと思う。しかし、金沢以西の北陸新幹線の延伸計画は、まだ具体的になっていない。いつになるかはわからないが、とりあえず駅の側の受け入れ態勢は整えておこう、ということだろう。

  駅そのものは近代的だが、そこに入ってくる普通列車はといえば、国鉄時代からの年季ものばかりだ。次の福井方面行きは、寝台特急電車を改造した419系。のっぺりした巨顔が近づいてくるさまが、ここではいっそうミスマッチだ。

近代的な高架ホームに、「食パン電車」 

  小松 12:39 → 福井 13:30 [普通 342M/電・419系]

  席についた後、福井まではほとんど居眠りしていた。その福井駅、以前は地平駅だったが、いつの間にか高架ホームに切り替わっている。ホームの雰囲気といい、屋根の付き方といい、小松駅をひとまわり大きくコピーしたかのようだ。時期も規模も近いと、構造も似通ってしまうのは仕方ないが、こういう途中下車が続くのは面白くない。

  ここからは、福井鉄道に乗ってみたいと思う。前述の万葉線や富山ライトレールの例にみるように、北陸の都市には小さな私鉄・第三セクター路線が根を張って頑張っている。経営は楽観できず、昔と比べて規模もかなり縮小しているようだが、それでも生き延びているのは、雪に強いという鉄道ならではの利点あってのことだろう。福井鉄道もそのひとつだ。ただし、さすがに今冬の雪の降りは尋常でなかったのだろう、昨12月には積雪に乗り上げて脱線する事故を起こしている。

  福井駅前 13:48 → 武生新 14:43 [福井鉄道 普通/電・300系]

  福井駅前から出るそのホームは、まさに路面電車の停留所。ターミナルの風情はなく、道路の中に仮そめに乗り場を造りました、という風だ。2両編成の電車には「昭和42年製造」とあり、黄ばんだ内装がローカル然とした雰囲気を醸す。列車は武生新駅行き。「武生の新駅」ではなく、「武生新(たけふしん)」という名前の駅だ。線内には「福井新」という駅もある。

  一区間進み、市役所前停留所で運転士が移動し、列車は向きを変える。福井鉄道の路線は、福井市街の田原町(たわらまち)と、JR武生駅に近い武生新を結ぶが、途中市役所前から福井駅前への枝線が出ており、スイッチバックする格好でわざわざそこに立ち寄る運行形態がとられている。この先武生新まで、福井鉄道線はJR北陸本線から少し離れた西側を並走する。

  電車はしばらく、道路の真ん中を進む。電車の出入口が高いので、路面電車区間では乗降時、足をかけるステップが出る構造になっている。

  やがて併用軌道を離れ、福井新から専用軌道に入る。次の花堂(はなんどう)からは単線に。郊外に移り、直線ではそれなりにスピードも出す。路面電車から田園の路線へと、同じ電車が一続きの線路上で変容してゆくのが面白い。

福井鉄道の電車は市街地を抜けて専用軌道へ 

  専用軌道区間ではホームは普通の高さなので、乗降にステップは必要ない。しかし各駅で、そのホームを切り下げる工事が行なわれている。どうやらまもなく低床車両が導入されるようで、すべての駅のホームを路面電車規格に合わせるようだ。ホームの「格差」は、趣味的には興味深いが、ステップの乗降は高齢者などには厳しいと思うし、雪道ならなおさらだ。利用者には望ましい変化といえるだろう。

  小雨の中を進んできた福井鉄道の旅も大詰め。終点手前の西武生には、まもなく導入されるであろう低床車両が連なっている。世代交代は間近だ。

  終点の武生新も、ホームの半分がすでに嵩下げされ、そこに従来車が停まると違和感がある。改札を出て、JRの武生駅まではショッピングセンターを隔てて、やや距離がある。福井駅前停留所のそっけなさといい、JRとの連携はあまり考えず、わが道を行く鉄道という印象を受けた。(注1

武生新駅。ホームの切り下げが進行中 

  武生 15:05 → 敦賀 15:36 [普通 234M/電・419系]

  武生から北陸本線の旅に復帰。敦賀行きの電車は、再びの419系。ここからは敦賀に向けての山越えで、北陸沿線でも特に雪が多い。積雪は次第に増し、沿線には裂けるように折れた木々の痛々しい姿も。割れ口はまだ真新しいので、この冬の雪の重みによるのだろう。13km以上に及ぶ北陸トンネルを抜けると、敦賀

  北陸方面への鈍行旅で、必ずと言っていいほどネックになるのが、この敦賀での乗り継ぎだ。着く少し前に先へ行く列車が出てしまうという意地悪をされるのも珍しくない。今回もここで1時間以上を待たされる羽目になる。このじめじめした中を歩き回る余力もなく、遅い昼食に「柿の葉寿司」を買って待合室で食べるなどして、所在なく時間をつぶす。

大きいが何となくローカル然とした敦賀駅舎 

  ただしこの秋には、関西からの新快速が敦賀まで乗り入れられるようになる。そうすれば、敦賀から米原・大阪方面への本数が増え、ここでの乗り換えも多少改善されるだろう。家路を急ぐ身にはありがたくないボトルネックだが、かつての長距離鈍行の長時間停車のようなものと思えば、これも昔ながらの旅情の一部といえるかもしれない。

  敦賀 16:51 → 長浜 17:32 [普通 146M/電・419系]

  豪雪の冬の名残を見てきた北陸の旅も大詰め。長浜行きの電車は、武生から乗ってきたのと同じ車両だった。福井県を後にし、近畿へと戻る。

  長浜 17:43 → 神戸 19:41 [新快速 3511M/電・223系]

  長浜から乗った新快速は、徐々に客を増やし、大阪で超満員に。その窓を雨粒が打つ。道中ほとんどの間、小雨の降る行程だったが、今回については北陸特有のものではなかったようだ。北国に雪は残っていても、もう冬ではなく春なのだな、と思う。

 注記

  注記の内容は2016年10月現在。

  1. 今回利用した300系電車は、もともと静岡鉄道から移籍したものだったが、2006年4月に低床車両と入れ替わりに現役を退いた。まさに引退寸前の乗車だった。また2010年に、福井新、西武生、武生新はそれぞれ、赤十字前、北府(きたご)、越前武生に改称されている。

 

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