写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 城下のお花見


 2007年4月9日
 市場→岡山→福山→今治→讃岐財田→高松→岡山→市場

  昔の和歌で単に「花」と詠まれるときは、大抵「桜」のことを指す。桜と比べればその他の花は大して重視されていなかったのだろう。そんな古来からの日本人の桜好きのほどは、その時期が来るとよく分かる。いわゆる「桜の名所」は言うに及ばず、そこらの公園や山の中にさえ、桜の木の1本や2本は必ず植わっている。1年の中で1週間そこらしかない見頃の時期に大勢の人を駆り立てるのは、これまた日本人の大好きな「期間限定イベント」という要素もあるのだろうが、それだけにタイミングを逸すると残念なことになる。

  今回は、「青春18きっぷ」の1日分を使って、「花見旅」と銘打って出かけることにする。名所巡りというよりは、沿線に何気なく咲いている花を愛でるような旅がよい。幸い天気は良さそうだ。空が青くてこそ、桜は映える。

  市場 6:16 → 加古川 6:32 [普通 1320S/電・103系]
  加古川 6:39 → 姫路 6:56 [普通 321M/電・221系]

  春の夜明け、加古川線沿線には霧が立ちこめていた。加古川では7分の連絡だが、手狭な中間改札がネックで、うかうかしていると危うい。ラッシュの時間帯には、思うような乗り換えができないケースもあるだろう。加古川を出ると、霧は晴れて明るくなってきた。空は晴天。旅行日和になりそうだ。

  姫路 7:04 → 岡山 8:29 [普通 1305M/電・115系]

  姫路から岡山へは1時間半の行程。いつも結構長く感じられる区間なので、座席が確保できたのは有り難い。115系の6両編成は緩やかな走りで西播磨を進む。時間が時間故、車内には学生が増え、にぎやかになってくる。しかし上郡で大半が下車し、いったん静かになる。この区間では県境でも席が空かないという印象があるが、学生の流動に関しては一応境界があるようだ。

  峠を越えて岡山県に入ると、再び乗客が増えてくる。ここからは岡山への通勤通学ラッシュになるから、混雑は当然だ。最後には満員になって、電車は岡山に到着。

  岡山 8:37 → 福山 9:34 [普通 431M/電・117系]

  次の電車はすでに学生で混み合っていて、立ち席になってしまったが、幸い2駅目の庭瀬で学生が大挙して下車したので着席する。2扉の117系は混むと厳しいが、座ってしまうと快適だ。新倉敷までには立ち客はいなくなり、これにてラッシュも一段落。金光ではホーム脇に満開の桜並木。気分が高まってくる。

  今日最初の目的地である福山は、駅のすぐ脇に城跡があり、新幹線のホームからも城壁が見えるので、前々から気になっていた駅である。ちょうど桜の見頃を迎えており、立ち寄るにはちょうどよい。

  福山駅は高架駅で、在来線ホームの上に新幹線ホームが乗っかっている。城跡がすぐ北にあるため、拡張の余地がなかったのかもしれない。従って、在来線ホームはビルの内部にあるような、薄暗い駅となっている。

新幹線駅の下が在来線ホームとなっている福山駅 

  駅を出れば、すぐ目の前に石垣がそびえている。階段を上がると門があり、その中は公園となっている。敷地内には桜が咲き誇り、くっきり晴れた空とあいまって天守閣が映える。天守は戦災で焼失、戦後の再建だとのことだが、桜に囲まれるその姿は絵になる光景だ。今日は月曜日、昨日までは恐らく花見客でごった返していたことだろう。ちょうどその喧噪が去り、人影まばらな中で存分に味わうことができた。1年の中でも恐らく最高のタイミングで来られたことを感謝したい。

  福山はかつて備後国の中心地で、広島県の東の玄関口でもある。石垣の上から見渡す町並みも、それなりの規模がある。とはいえ南側は、東西に走る山陽新幹線の高架に遮られる。天守に上がればさらに眺望が広がるのだろうが、ちょうど月曜は休館日であった。

桜咲き誇る福山城 

  園内を散策し、たくさんの写真を撮ったが、時間が近づいてきたので、名残惜しくも福山城を後にする。これからは、バスで四国・今治(いまばり)へ渡ることにしている。

 初めての愛媛

 福山 10:45 → 今治 12:10[09] [バス「しまなみライナー」]

  本州から四国へ、橋で渡る経路は、3つある。淡路島を経由する明石海峡〜鳴門ルート、最初に開通した児島〜坂出ルート、そして「しまなみ海道」の異名を持つ尾道〜今治ルートである。このうち鉄道が走っているのは児島・坂出ルートだけなので、手段を鉄道に限ってしまうと、四国は袋小路になってしまう。私は、仕事などでどこかへ行く場合にも、行きと帰りで必ず道を変える人間である。単純な往復では面白くない。そこで今回は、この「しまなみ海道」を経由する高速バスを利用し、瀬戸内海を囲んでループする行程を計画した。ちなみに、私が愛媛県に入るのは今回が初めてで、これで沖縄を除く全都道府県に達することになる。

  福山を発着するバスは、駅南側のバスターミナルに出入りする。福山と今治を結ぶ「しまなみライナー」は、およそ1時間に1本の運転で、この間の行き来は結構盛んなのだろうと思いきや、10時45分発今治行きのスタート時点での乗客は、自分を含めて8人だけだった。時間帯などにもよるのかもしれないが、ちょっと拍子抜けする。

  福山市街地を抜けたバスは、高速道路に入って速度と高度を上げる。眼下には尾道の町並み。入り江の港から山の斜面に向けて、工場、倉庫、そして民家がびっしりと建ち並ぶ、典型的な港湾都市の風景だ。

尾道の街を眼下に見ながら、バスはしまなみ海道へ 

  そんな尾道の街を飛び越えて、まずは新尾道大橋(546m)で本州を後にする。対岸はその名の通りの向島。これよりしまなみ海道は計10の橋で四国に達する。本州と四国を直線的に結ぶ他の2つのルートに対し、こちらは飛び石のように浮かぶ島々をジグザグに辿る経路となっている。向島バス停で、一人乗車してきた。

  続いて因島大橋(1270m)で因島へ。明石海峡大橋のミニ版のような、標準的な吊り橋だ。高速道路は島を貫くように高台を進み、時折見渡される瀬戸内海ののどかな風景が美しい。生口橋(790m)を渡って生口島。こちらの橋は主塔が直接橋桁を支える形状となっている。

海を見つつ生口島を快走 

  生口島では比較的長い距離を走り、次は多々羅大橋(1480m)。さきの生口橋と似た形状だが、倍近くの長さがある。この先は大三島、これより愛媛県となる。すぐにインターを降り、大三島バス停で一人降ろす。ちょうど、渡ってきた多々羅大橋が見渡せる。

大三島インターから、多々羅大橋を振り返る 

  しまなみ海道の通行量は多くない。本来、本州と四国を結ぶためというよりは、瀬戸内に連なる島々同士、あるいは島と本土を連絡するという性格の強いルートなのだと思われる。今乗っているバスも、もともと島々をつないでいた船便の役割を担うものなのだろう。逆に言えば、船で事足りる程度の流動だったところに車を走らせるのだから、すいていて当然、という見方もできる。ただ、乗客10人に満たないバスが、一人二人の乗降で進んでゆく有様では、存在価値としてどうかという気がしなくもない。(この1回きりで判断するのは早計だが。)

  大三島と伯方(はかた)島の間は狭い海峡。わずか328mの大三島大橋でまたぐ。塩のブランド名で知られる伯方島だが、インターで再び外に出て、バス停で二人を降ろす。正面に海が見える。高速道を走っている限りは高い場所から俯瞰するばかりなので、この視点はかえって新鮮だ。しかしバスはすぐにUターンして、高速道に復帰する。

  伯方橋(325m)、大島大橋(903m)(間には見近島という無人島があり、橋が2つ連なっている)で伯方島をすぐに後にし、大島へ。連なる島々を辿る旅も大詰め。浮かぶ小島を眺めつつ、瀬戸内の風情を存分に楽しめた。吊り橋の展覧会ともいえそうな様々な橋梁も見応えがあった。最後は3つの大橋(960m、1515m、1570m)で来島海峡を一気に渡り、ついに四国本土に入る。バスは今治の駅前へ。愛媛の土を踏むのは、これが初となる。

  今治 12:23 → 伊予西条 13:04 [普通 4526M/電・7000系]

  鉄道の旅を再開する。やってきた伊予西条行き普通は、1両のワンマン電車。四国の中では本線系統に属する予讃線だが、日中の鈍行の需要はこの程度なのだろう。しかしその走りはすさまじい。一気にダッシュをかけ、110km/hまで速度を上げる。九州などでもそうだが、特急に追いまくられる地方幹線では、鈍行とて高性能が要求されるのだろう。

  四国のJR線に乗るのは、自身3度目で、7年ぶりのことだ。先回の旅行で、四国の鈍行はとにかく待ち合わせ停車が多くて長い、という印象が強く残った。ほとんどが単線のうえに、本数の多い特急が優先されるから、機会の多さは仕方ないが、それにしても1回1回の停車がかなり長い。全体的に旧態依然というか、ダイヤが洗練されていないという印象がある。のんびり座っていられる状況ならよいが、そうでなければイライラしてくる。

  早速、今治の次の伊予富田で、特急の対向待ち。その後も電車はダッシュと小休止を繰り返して進んでゆく。前方には石鎚山が見えてくる方向だが、かすんでしまっている。

桜に彩られた沿線風景 

  南東から東向きに転じ、右手に辛うじてそれっぽい姿の認められる石鎚山らしき山々を見ながら、伊予西条に着く。予讃線には、「伊予○○」という駅名がやけに多い。数え上げると、愛媛県内に83あるJR駅で「伊予」という語が含まれるのは27駅。3つ停まれば1つくらいは「伊予」つきの駅だということになる。

予讃線でワンマン運転する普通電車 

  伊予西条 13:25 → 観音寺 14:33[32] [普通 4128M/電・7000系]

  岡山・高松行き特急「しおかぜ・いしづち」が先に出発したのち、次の観音寺行き普通列車が出発する。こちらは2両編成だが、後ろ1両は回送扱いとなっており、乗車できるのは前1両だけ。ワンマン運転の際には1両しか使わないことにしているのかもしれないが、2両でワンマン運転している路線もざらにあり、なぜあえてこんなかたちをとっているのかが不思議だ。もっとも、客の数は1両で事足りる程度のものだが。

  新居浜を過ぎると山がちな田園風景となる。沿線の桜は散り気味だが、山々を飾るアクセントとなっている。列車は相変わらず対向待ちを繰り返しながら進んでゆく。やがて海が近づき、伊予三島あたりからは臨海工業地の風情。ここが愛媛県の東の端となる。今回はほぼ通過するだけで終わってしまったが、また別の機会にゆっくり巡りたい。

  箕浦から香川県に入る。海岸が近いが、近づききらないまま平野部へ入ってゆく。電車は東へ折れ、観音寺に到着。

 ディーゼル快速の力走

  香川の西端にあたる観音寺。「かんのんじ」ではなく「かんおんじ」と読む。普通列車はここで分断されている場合が多く、ダイヤ上も高松エリアと愛媛方面の境界といえそうだ。30分ほどの余裕をみているので一旦下車してみる。

  さて、香川と言えば讃岐うどんだ。香川県民は主食としてうどんを食すると聞く。最近では関西でもセルフ式のうどん店が増え、まさにファストフード感覚の食べ物ともなってきたが、ご当地香川では特に発達しているらしい。私も、もし手近なところで売られていればぜひ、地元の讃岐うどんをと考えていた。が・・

  意外にも駅前にはそれらしき店がない。それどころか、商業的な施設すらあまり見あたらない。駅が市街から外れているのは珍しいことではないが、それにしても、仮にも市の中心駅にあるべき賑わいというものが感じられない。街そのものが寂れているのか、人の流れから離れてしまっているのか。少し駅から離れて歩いてみたが、様子は変わりそうにもなく、がっかりして駅に戻った。

観音寺駅にて。今や希少な黒地幕の発車案内 

  観音寺 15:07 → 多度津 15:43 [快速「サンポート」 160M/電・121系]

  次に乗るのは高松行きの電車で、これには途中多度津まで乗る。「快速サンポート」というヘッドマークを掲げているが、快速として運転されるのは坂出より先なので、多度津までは各駅停車である。

  車窓は平凡な田園風景となるが、ため池が多く、各所に点在する。香川は水不足になると真っ先に騒がれる土地。ただでさえ雨の少ない瀬戸内気候帯に属する上に、大きな河川がないためだ。だから米より小麦が生産され、うどんが発達した一因ともなっているようだ。ちなみに、私の住む東播磨地域でも、ため池は非常に多い。しかし減反などの影響で、減る傾向にある。

  列車の本数が増えてきたので、待ち合わせも増えてくる。2駅に1駅くらいは、対向待ちをさせられる感じだ。そうこうするうちに多度津に着く。

  多度津 15:46 → 讃岐財田 16:18 [普通 261D/気・キハ54]

  多度津から一旦、高知方面へと向かう土讃線に入る。これは、今日の最後のお目当てである、キハ58系の快速「サンポート」に乗るためだ。

  キハ58系は、急行用気動車として全国を駆けめぐり、90年代の私の旅行では最もよく遭遇する車両のひとつだった。「旅をしている」という風情を醸し、私の好みの車両だったが、21世紀に入ってその勢力は急激に衰退した。急行として走るのは芸備線の「みよし」だけとなり(※07年6月廃止)、今や定期的に走る線区は全国でも数えられるほど、しかも1日数便という有様になってしまった。あれほどどこででも走っていたものが、今ではわざわざ予定を合わせて出向かないと乗れない存在となってしまったのだ。

  四国に残存する58系の列車は普通列車ばかりだが、1便だけ、快速「サンポート」として運転されるものがある。阿波池田から土讃線・予讃線を経由し、坂出から快速として走行し、高松に至る。「急行」を彷彿させる運転をする最後の列車といえよう。今回はスケジュールの都合上、阿波池田からは乗れないので、途中讃岐財田(さぬきさいだ)から乗り込むことにしている。

  阿波池田行きのディーゼル列車は、車両の端から端までロングシート。思い返せば7年前、土讃線のローカル区間でいきなりこれが来て面食らった覚えがある。四国の車両の造り方は、ほかと比べてどこか変わっている。琴平からはローカル然とした雰囲気となり、これから山にさしかかろうかというあたりで讃岐財田。実際土讃線はここから山を越えて徳島県へ向かうのだが、次の坪尻には「サンポート」が停まらず、その次の箸蔵(はしくら)だとぎりぎり(こちらが到着して即向こうが発車する可能性がある)なので、40分待ちになるがここで降りておかなければならないのだ。高速で通過する上り特急「南風・しまんと」を待ち受けた後、列車は峠越えに挑むべく、白煙を上げて出発していった。

  時間があるので駅を出てみる。無人駅だがよく手入れされている。そしてその駅舎を覆うかのように大木が立ち、厳かな存在感を示している。これはタブの木というらしい。駅前に見られるのは数件の古びた民家だけだが、その庭先に咲く桜がよくマッチしている。

大木が植わり、閑静ながら厳粛な雰囲気のある讃岐財田駅前 

そしてここにも桜の木 

  駅前からはまっすぐに道が延び、集落へ向かって下っている。時刻は16時を過ぎ、さすがにもう真昼の光ではないが、まだ陽は高い。山裾の山村風景が、真っ青な空の下に美しい。

山裾に広がる讃岐財田の農村地帯 

  讃岐財田 16:58 → 高松 18:05 [快速「サンポート」 254D/気・キハ58系]

  峠を下ってきた高松行きの「サンポート」が、ホームに入ってきた。列車は4両編成、今日ここまで四国で乗ってきた列車の中では最長である。すいているが、その大半が同業者と思われ、停車時間のあいだに写真など撮っている。デッキの仕切りが取り払われ、トイレも撤去されているので、車内には妙な開放感がある。そういえば、四国の普通列車には、基本的にトイレがない。運転時間が長いのに不親切ではないかとも思えるが、停車時間も長いから、必要なら駅で済ませてね、ということだろうか。

全国でも稀少となったキハ58系が快速として走る 

車内は一部ロングシート化 

  対向の下り特急が通過した後、列車はゆっくりと発進する。最近(JR世代)の気動車は、動力がそのまま推進力に直結する感じだが、キハ58世代だとエンジン音からワンテンポ遅れたような動きをする。まじめに走っているのに緩慢に感じられてしまう、良く言えばそれが急行らしい落ち着きであり、私が「旅の風情」と認識していたものなのだと思う。

わざわざ「自動ドア」と書いてあるあたりが時代を物語る 

  山間では至ってのんびり走っていたが、琴平あたりからはそろそろ本気を出そうかとばかり、走りにスピードが伴ってくる。閉まった窓から、油臭い隙間風が吹き込んでくる。次第に客が増え、多度津から予讃線に復帰する。

   キハ58系車窓(讃岐財田→多度津間)

  これより高松までは複線区間となる。(四国内で複線なのはこの区間だけである。)ダイヤ上の制約がなくなるためか、列車の走りも伸びやかになる。丸亀付近の高架からは、丸亀城が望まれる。街の中にこんもりと小山があり、その上にちょこんと天守が乗っている。

  瀬戸大橋線の合流する坂出から、いよいよ快速区間となる。すでに夕暮れ時となり、山々を彩る桜もかすんで見えにくくなってきた。列車は駅々を通過しながら、ハイペースを維持して進む。ハイペースとは言っても、速度そのものは目を見張る速さではない。線路がいいので、むしろ物足りないくらいだ。それでも、時折エンジンを吹かせ、ゴロゴロと振動を響かせながらの走りは、乗っていて飽きのこないアナログの味わいだ。

  風景そのものは割と単調なまま、快速「サンポート」の旅も終わりに近づく。四国のキハ58系は、少数ながら比較的長距離の運用を残しているが、アスベストの問題などもあり、先は長くないといわれている。快速としてのこの列車に乗るのも、これが最後となる可能性が高い。むしろこれまでよく残ってきたと言うべきであり、今回の乗車は「急行」の名残を惜しむ意味で、貴重な機会だったといえよう。(注1

   キハ58系車窓(多度津→高松間)

日暮れの高松に到着 

  高松 18:13 → 岡山 19:06 [快速「マリンライナー54号」 3174M/電・5000系]

  高松より、快速「マリンライナー」で岡山を目指す。最後部の車両はグリーン車・指定席の2階建てだが、その他は西日本の新快速と同じタイプの車両である。夕方ラッシュ時間帯ともあって混雑しており、雰囲気は新快速そのもの。

快速「マリンライナー」で四国に別れを 

  坂出まではもときた道を引き返すが、その走りっぷりはさすが電車、キハ58系にはどう頑張っても出せないようなスピードで同じ線路を走り抜ける。坂出を出ると、長い高架で瀬戸大橋へと駆け上がってゆく。もう、かろうじて景色が見える程度の暗さになり、眼下の船の灯りが目立つ。橋の上で時折速度を落とすのは、騒音対策だろうか。やがて列車は陸地へ飛び込んでゆく。本州に帰ってきたのだ。

  岡山 19:18[17] → 姫路 20:46[45] [普通 1332M/電・115系]
  姫路 21:17 → 加古川 21:27 [新快速 3540M/電・223系]
  加古川 21:42 → 市場 21:59 [普通 1355S/電・103系]

  すっかり暗くなった岡山から、山陽本線を東へ辿る。なかなか席が空かない。ドア際に立っていると、隙間風で寒い。毎度この区間は、帰りにはひたすら長く感じられる。しかもこの先、加古川線にかけての接続は悪い。

  時間があるので、高架化され真新しい姫路のホームで、駅そばを食す。ここのは和そばではなく、中華風のそば(ラーメンより歯ごたえが軽い)を和風のだしでいただく独特のもので、お手軽な姫路駅の名物料理だ。さきの列車で冷えてしまったので、温かい食べ物はありがたい。市場に到着したのは、およそ22時だった。

 注記

  注記の内容は2016年10月現在。

  1. キハ58系使用の「サンポート」は2008年3月改正で姿を消した。同時に同系列の高松発着もなくなり、松山・高知エリアに少数残ったキハ58系列車も、同年10月に定期運転を終えた。

 

 トップ > 旅日記 > 旅日記07-2