1.雨上がり、木曽路へ

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 旅立ちまで

  ここ数年の猛暑から一転、2009年は梅雨明けが遅れ、本格的な夏が到来しないまま立秋を迎えてしまった。気象庁は、その後晴れ空が続くという予報を出していたが、それも半ば、いい加減そろそろ太平洋高気圧が頑張ってくれるだろう、という希望的な推測を込んでのことだったのだろう。現実には、その後も日本列島にかかる雨雲は取れず、不安定な天候が続くことになった。

  さて、この夏私は、信州への旅行を企てた。冬場の「雪見旅」では何度かれているが、それ以外の季節に訪ねるのは、個人の旅行では十年以上ぶり、夏場となると初めてのことだ。今回のターゲットは、信州を縦に貫く大糸線と飯田線。いずれも日本アルプスに沿う路線で、その山々の勇姿こそが車窓の華だ。まだ見ぬ夏のアルプスに、期待を抱き続けてきた。

  それだけに、旅行期間中の天気のことはずっと気になっていたのだが、どうにも怪しい。たとえ平地は晴れていても、2000m超級の山々はそうそう簡単に顔を出してはくれない。まして雨など降ろうものなら台無しで、一体何をしに行くのやら分からない。とはいえ、この夏の気象を見るに、たとえ期間を変えたところで、功を奏するとは考えにくい。行ったその日に、うまく良いタイミングに巡り会えるよう、期待を寄せるしかないだろう。

  当初、旅行の日程は、8月10日〜11日を予定していた。ところが9日から10日にかけて、非常に天気が悪くなるとの予報が出た。南海の熱帯低気圧が北上し、湿った空気を送り込んでくるとのことだった。予報に違わず、9日は午後からひどい雨になった。ぎりぎりまで検討した結果、10日の出発はあきらめて、予定を1日後にずらすことにしたが、この9日の晩には、兵庫県西端の佐用町などで洪水が発生し、甚大な被害が出た。避難を試みた人々が大勢犠牲になる惨事となり、痛ましいとともに、それほどの急激な増水だったということに戦慄を覚えた。

  10日も本降りの雨となったが、11日以降は熱帯低気圧から発達した台風9号が東方へ去り、天気が快方に向かう見込みとなった。被災した人たちのことを思うと手放しでは喜べないが、ともかく1日スライドした判断は正しかったようだ。

 嵐の後の晴れ空


 2009年8月11日
 三ノ宮→名古屋→松本→糸魚川→筒石→神城
  三ノ宮 6:04 → 大阪 6:32 [快速 704M/電・221系]
  大阪 6:38 → 米原 7:59 [新快速 3400M/電・223系]

  そういうわけで1日遅れの出発となった8月11日。三ノ宮から快速に乗り、まず東海道線を東へ進む。盆前とはいえ平日なので、早くも6時過ぎからそこそこ客は多い。大阪で快速を降り、新快速に乗り換える。大阪始発の列車だが既に席は埋まり、立ちんぼを余儀なくされる。大阪で降っていた雨は、大阪府を出る頃には上がり、雲の間から朝日が射す。このまま順調に回復してほしいものだ。

  京都で、さきほど乗っていた快速に追いつき、先に出発する。通勤・通学のピークに達し、車内は超満員となる。にぎるつり革もなく、バランスを取るのに苦労する。学生時代の電車通学の記憶がよみがえる。

  増え続けてきた乗客も、守山を過ぎると減少に転じ、外の天気も急速に快方へ向かう。雨上がりの青空に気分も晴れる。彦根で大勢下車してようやく空席ができたが、下車する米原まではもうあと1区間だ。

  米原 8:05 → 大垣 8:38 [普通 200F/電・211系]

  米原からJR東海区間へ。乗り換えた大垣行き、事前調査では特急用車両の373系(大垣に到着した夜行快速「ムーンライトながら」の間合い)が当たると踏んでいたが、なぜかロングシートの211系だった。既に席が埋まっているが、窓に背を向けるロングシートの電車なので、立っていた方がかえって景色が楽しめる。

  この先、車窓左手に伊吹山が姿を現すはずだ。標高1377mのこの山の見え方で、これ以降の眺望の可否がある程度量られるだろう。お出ましとなった伊吹山は、幾分雲をまとっているが、稜線がくっきりと現れ、青空のもとに映える。これは今後にも期待が持てそうだ。

伊吹山はくっきり 

  大垣 8:54 → 名古屋 9:24 [快速 2516F/電・313系]

  やがて列車は関ヶ原にかかる。後方に去る伊吹山、沿線の茶畑などを見ながら濃尾平野に下り、大垣へ。列車を乗り換え、大阪以来久々に座席にありつく。先が長いので、座れるところでは座って体力温存しておきたい。この後列車は、中京の三大河川である揖斐・長良・木曽川を立て続けに渡る。木曽川には、のちほど再び出会うことになる。

 寝耳に水のアクシデント

  名古屋には定刻の9時24分に到着した。ここから中央本線に入り、木曽を経て松本を目指すが、途中中津川で若干の余裕があるので、その手前の定光寺という駅で途中下車しようと考えている。名古屋の平坦な都市圏を脱して、いきなり「秘境」のような渓谷に入ったところにこの駅はある。この豹変ぶりが面白く、通るたびに気になっていたが、これまで立ち寄る機会がなかった。

  中央線ホームに移ると、おかしな事に気づく。予定していた列車がホームにいないようだ。よくよく電光掲示板を見て目を疑った。出発予定の列車は8時07分発と出ている。ダイヤが1時間半も遅れているのだ。

時計の時刻と掲示板の表示に注目 

  放送を聞いていると、どうも早朝に東海地方で地震が起きて、その点検などのために列車が止まっていたらしい。おそらく、復旧後に順々に列車を送り出しているのだろう。寝耳に水だが、この種のアクシデントは致し方ない。旅行中はリアルタイムの情報を得るすべがないので、どうしても情報弱者になってしまうのだ。

  こうなるともう、途中下車どころではない。今までの経験から、こういうときの鉄則は「前倒し」、とりあえず来る列車に乗って先へ進んでおかねばならない。中津川以降の列車が限定される上に接続がタイトなので、ともかく中津川まではコマを進めておく必要がある。それ以降のことは、都度考えるしかない。

  「8時07分発」の中津川行き快速が入ってきた。10両編成で、なんと後ろ6両は「セントラルライナー」の車両だ。ちょっと上等な車両だが、「セントラルライナー」として走る場合は、乗るのに310円の整理券を買わねばならない。ラッシュ時には通常の列車に混ぜて使うのだろうか。何にせよ、得した気分で乗り込む。名古屋を出たのは9時47分、本来のダイヤからすれば1時間40分遅れの出発だ。

  名古屋 9:47[8:07] → 中津川 11:08[9:21] [快速 2705M/電・211+313系]

  しばらくは名古屋近郊を進むが、その間にもどんどん対向列車がやってくる。これらも本来なら、8時頃には名古屋に着いていなければならない列車だろう。携帯電話のWEBで確認すると、地震は5時過ぎ、駿河湾を震源とし、最大震度は6弱だったとのこと。発生は自分が家を出て間もない頃だったことになる。(東名道が崩れるなどの被害については、のちほど知った。)さきの米原からの電車が入れ替わっていたのも、そのせいだったのだろう。

  先行列車がつかえて徐行・停車することもあったが、高蔵寺を過ぎると本来の「快速」の走りになる。降りる予定だった定光寺はあっさりと通過。この無念は、いつか晴らしたいものだ。

渓谷の定光寺駅。今回は無念の通過 

  やがて標高2191mの恵那山が現れる。山頂部まではっきり見える。中央アルプスの2000m超の山としては最も南の山であり、木曽路の門番のように前方にどっかと構えている。その恵那山の麓に位置するのが中津川。11時08分、名古屋からの列車をここで降りる。

中津川に到着した「セントラルライナー」車の快速 

  ここから先、普通列車の本数は極端に少なくなる。予定では12時04分発の松本行きに乗ることにしているが、もしこの列車がきちんと出ないとなれば、その後の計画に致命的な影響が出る。幸い、駅の放送では、この列車はちゃんと運転される旨が案内されていた。

  自分と同様に、「とりあえず」ここまで到達した人が多いのか、ホームにはすでに結構な人が集まっている。事態がどう変わるか分からないので、うかつに動くことができず、蒸し暑さの中、自分もホームでじっと待つことになる。その間に、名古屋側から送り出されてきた列車が次々に到着する。着いた列車は急いで切り離され、あるものはそのまま名古屋方面に折り返し、あるものは回送されて引き上げ線に送り込まれる。既に到着している列車の到着案内や、ホームにいない列車の発車案内が流れるなど、自動放送も混乱している。ホームにいた1時間ほどの間に、本来1時間おきに運転される長野行きの特急「しなの」が3回来た。通常なら2,3時間の間になされるべきことが、数十分のうちに行われているわけだ。

  普通列車の発車時刻が近づくと、自然に列ができだした。私が何気なく立っていたのがたまたま乗降口部分だったため、いつの間にか自分がその列の先頭になっていた。入ってきたのは2両編成のワンマン電車。この時期にこれはきつい。私はうまく席を取れたが、車内は満員になった。列車は定刻より3分遅れで中津川を発車した。とりあえず、この先は大勢に影響は出なさそうで、ほっとする。この列車には塩尻まで乗車する。

 満員電車で木曽越え

  中津川 12:07[04] → 塩尻 13:52[48] [普通 1831M/電・313系]

  ここからは、木曽川が車窓左手に沿い、線路とともに谷を遡ってゆくことになる。冬の枯れた風景は何度か見ているが、夏場に来るのは初めてなので、緑に囲まれた様は新鮮だ。河原にゴロゴロ転がる岩石は、白さが目立つ。このあたりの地質なのだろうが、森林の濃い緑色とコントラストをなして、美しい。

流れのはやい木曽川 

  木曽谷は江戸時代の主要街道であった中山道が通っていたこともあって、狭い谷だがしっかりと生活感がある。幾つかの駅では、駅前に丸太がうずたかく積まれている。そんな町々をつなぎながら、列車はカーブを描きつつ、次第に高度を上げてゆく。もと来た側を振り返ると、確かにどんどん登ってきていることがわかる。だが、行けども行けども、前方にはさらに高い山々が立ちはだかる。この際限のなさが、木曽路ならではだ。

  駅毎に少しずつ乗降があるが、大半の客は動かない。多くは自分のように、青春18きっぷを使って乗り通す長距離利用者なのだろうか。鈍行の本数が少ない区間だから、その少ない列車に利用が集中する。時期的にそれは予測できるはずであり、列車の増結など行っていただければ嬉しいのだが、JRにしてみれば、長距離客には素直に特急を使ってほしいに違いなく、このような客はあくまで「ついでに乗せる客」という扱いだろうから、仕方がない。

来た道を振り返る 

  木曽福島を過ぎると、川幅も狭まり、さすがにだいぶ登ってきたという雰囲気になる。薮原からはついに木曽川を離れ、長いトンネルで峠を越える。ここが分水嶺になり、「太平洋側」から「日本海側」に移る。とはいえ、川の流れが反対になっても、沿線の雰囲気は大きくは変わらない。

峠を越え、奈良井の町へ 

  塩尻の手前、洗馬(せば)のあたりから、ついに谷が広がり、松本盆地へと出て行く。長かった木曽路の旅の終焉だ。列車はラストスパート、と思いきや、塩尻手前で徐行し、結局4分ほど遅れて塩尻駅に到着した。電車は松本行きだが、ここでかなりの人が下車した。中央東線に乗り換えて、甲府方面へ向かう人が多いのだろう。

  塩尻 13:56[53] → 松本 14:06[03] [特急「しなの11号」 1011M/電・383系]

  私もここで下車して、先発する特急「しなの11号」に乗り換え、松本まで1区間をジャンプする。そうしないと、松本から乗りたい大糸線の列車に間に合わないからだ。問題は、この「しなの」がきちんとやってきてくれるかだ。少しの遅れなら、その先の接続を取ってくれるだろうが、大幅に遅れるとこれまた、今後のスケジュールが狂わされる。幸い、定刻から3分ほどの遅れで「しなの」は入ってきた。蒸し暑い中津川での1時間に続いて、着席していたとはいえ、満員の車内で過ごした2時間弱は身にこたえたらしく、頭が痛くなってきた。

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