1.飯田線に挑む

  写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 雪の関ヶ原

  「暖冬」と呼ばれる冬ほど、その合間に訪れる急な寒波がこたえるものだ、2009年〜2010年のシーズンは、まさに年越しの時期に寒波襲来となり、ほとんど引きこもって過ごしていた。北国では大荒れの正月になったらしい。

  それから1週間ほどが経過し、今回出かける「雪見旅」の目指す先は信越地方。20代前半のころには、青春18きっぷを使い、夜行快速「ムーンライトえちご」で車中泊を挟む節約旅行でひたすら距離を稼いでいた。当時においてもそれなりに体力的に厳しいものだったが、今回は30代半ばにしてあえて、そのスタイルで挑むことにした。「原点回帰にして集大成」という位置づけだ。


 2010年1月6日
 道場→豊橋→天竜峡→上諏訪→新宿(→新潟)
  道場 5:37 → 大阪 6:21 [普通 2520M/電・113系]

  1月6日早朝、まだ真っ暗な福知山線道場駅からの出発。国鉄世代の旧式車はリニューアルされているとはいえ、窓際がスースーする。福知山線内では緩やかに走っていたが、尼崎から神戸線に入ると、忘れかけていたのを思い出したような力走にかかる。かつては日常走り慣らした区間だが、今となっては稀少な機会である。

  大阪止まりのこの列車を降りると既に、次に同じホームから出る、大阪始発の米原行き新快速を待つ行列ができている。昨年夏の旅行の際に、同じ列車を利用しているが、先回は終点寸前の彦根まで立ち席となり、満員の車内で苦労した。先も長いことだし、ここはなんとか席にありつきたいなと願いつつ、そのまま列の後ろに並ぶ。

  大阪 6:38 → 米原 8:03[7:59] [新快速 3400M/電・223系]

  8両編成の新快速が入ってきた。無事に席を確保し、大阪を出発。夜明けの遅い冬の空の色は、ようやく漆黒から濃紺へと変わってきた。高槻で大勢が乗り込んできて、早くも車内は満員になった。盆前だった先回は、ここまで多くなかったので、この先一体どんなことになるのかと、ラッシュに慣れない田舎者には恐ろしい。

  京都山科とさらに乗客を詰め込み、大津を過ぎたあたりで朝日が昇った。空は快晴だが、行く先のほうには雲が垂れ込めている。ホームを埋める行列を見ると、これ以上どこにこれだけ入るのかと思うが、しっかり入ってしまうあたり、電車の収容能力とは大したものだと思う。この状況下で新聞を縦に折って読んでいる人もいる。立ち客は身を処す術を心得ているのだろう。しかし、ここに私のような不慣れな人間が紛れ込むと、大変なことになる。

  石山から草津にかけてが、客のピーク。複々線だった線路は、草津から複線になる。ここで先行の普通列車の遅れに伴い、しばらく待たされる。野洲でその普通を追い抜いたが、5分の遅れが生じた。米原での接続時間は6分なので、この遅れをそのまま引きずるとぎりぎりになるが、すぐに、米原からの接続は図りますというアナウンスがあった。

  東海道線を東に進むこのルートは、雪見旅の定番コースだが、どこから雪が積もりだすかが、暖冬具合のバロメーターとなる。たいていは野洲か近江八幡のあたりから積雪がみられるが、今回はまだその気配がない。正月寒波があったとはいえ、やはり全体としては雪は多くないのだろう。彦根を過ぎたあたりでようやく、沿線に積雪。と思ったら、米原手前に来て急に雪が降りだし、視界が悪くなった。

  米原 8:06[05] → 大垣 8:40[38] [普通 200F/電・373系]

  結局米原には4分遅れで到着し、すぐにホーム向かいの大垣行きに乗り換える。この電車はJR東海の特急用373系。デッキの仕切りが完全でなく、モーターの音が生々しく車内に響く。モーター車両の静寂性では、普通・快速用の313系のほうが勝っているとさえ思える。さすがに座席は快適なので、鈍行として乗るぶんにはお得感があるが、特急料金に値するかといわれれば、首をかしげたくなる。

  積雪は見る見る増えて15cmほどになり、山の木々も真っ白に覆われている。空がかすんで、伊吹山は影も形も見えない。これぞ、関ヶ原の難所たる所以だろう。

新幹線との並走区間。背後の伊吹山は見えず 

  関ヶ原を出ると、陰鬱だった空に光が射すとともに、沿線の雪は減ってゆく。伊吹山(今回は見えないが)を背に、茶畑などを見ながら、濃尾平野へと広がる谷を下って行くこの区間は、地味ながら東海道の名所のひとつだと私は思う。

関ヶ原から下る。次第に空は明るく、積雪は薄くなる 

  大垣には2分遅れで到着した。空を重く覆っていた雪雲は、ここにはもうない。客を降ろした列車は、しばらくして米原方面へと引き上げていった。

 快適ホームライナー

  さて、今日のメインとなるのは、中部の偉大なるローカル線、飯田線。昨夏の旅行で、辰野から豊橋まで乗り通しているが、今回は逆のアプローチで、豊橋側から入る。飯田線を訪れるのは今回で4回目になるが、この方向に辿るのは初めてだ。

  というわけで、まずはここ大垣から豊橋を目指すことになる。予定としては、8:54発の豊橋行き快速でと考えていたのだが、駅の電光掲示板を見ると、9:00発の「ホームライナー豊橋4号」という列車があることに気づいた。別料金が必要だが、このあと飯田線で座れるという保証はなく、後々のための体力温存をと考えると、それも悪くないか、と思いたち、駅の券売機で310円のライナー券を購入した。

  およそ予想はついていたが、入ってきた「ホームライナー豊橋」は、さきほど米原から乗ってきた電車そのものだった。ならば引き上げる必要はなかったのでは?とも思うが、そのままハイここから料金を頂きますというのでは、さすがにバツが悪いということだろうか。

373系で運転される「ホームライナー豊橋4号」 

  ライナー券の指定では、座席が通路側で、別の人の隣だ。律儀にそこに座ったが、まわりはガラガラなのに窮屈だな・・と思っていると、車掌が「空いているのでどこでもどうぞ」と。実際にはライナー券さえ持っていればどこでも座れるし、なければ車内で310円を払えばよいものらしい。座席指定の利点は、万一満席になった場合に、先客をどかせて座席を確保する権利がある、ということか。何にせよ有り難い。

  大垣 9:00 → 豊橋 10:30[27] [「ホームライナー豊橋4号」 2986F/電・373系]

  大垣を出た列車は軽やかに進む。今度はモーターのない車両なので、落ち着いて乗っていられる。しかしそれにしても緩慢な走りだなと思っていると、またも先行列車が遅れ、頭を抑えられているらしい。沿線の雪はいつのまにかなくなった。

  濃尾平野の区間は景色が単調で、毎度居眠りゾーンとなる。今回は眠くはなかったものの、名古屋前後で名鉄や新幹線と並んで走るくらいで、やはり特に見るべきものはなかった。名古屋を過ぎると抑えるものがなくなったようで、本来の高速運転となる。普段乗る快速・新快速は、名古屋あたりでの客の出入りが激しくて落ち着かないが、今回はその煩わしさがない。そのかわり、駅を出るごとに、車掌がいちいち確認にまわってくるのが気になる。

名鉄電車との競走 

  岡崎を過ぎると、これまでのひたすら平板な地形から、若干山がちになってくる。その斜面にはみかん畑などが見え、静岡寄りにやってきたんだなと感じる。最後の停車駅・蒲郡を出ると、車掌がライナー券の回収に来た。大垣から約1時間半、これだけ乗れば310円の元は十分取ったといえるだろう。

 飯田線200キロ・起<豊橋〜中部天竜>

  新幹線駅を併設する豊橋駅は、人の往来が盛んだ。改札前では、JRの売り子がなにやら盛んに宣伝している。ここから名古屋・岐阜方面へ は名古屋鉄道と並走し、競い合いも激しいのだろう。東海道新幹線で潤っていると思われるJR東海も、そのドル箱の利用者が大きく減っているといわれる現状、安穏とはしていられないはずだ。

  そんな名鉄とホームを共用しているのが、これから乗る飯田線。これまで、その長旅の「終点」となってきたこのホームが、今回は出発点 となる。乗り込む電車は2両編成で、すでに立ち客も多い。今のところ、地元の近郊電車という風で、長旅をするという雰囲気ではないのだが、行き先は天竜峡。そこまで約3時間半の道のりとなる。そして、飯田線終点の辰野に着くのは6時間半後。そのころには、日はとっ ぷりと暮れているはずだ。

飯田線の長旅、豊橋からの出発 

  豊橋 10:43 → 天竜峡 14:08[05] [普通 519M/電・119系]

  豊橋を出た電車は、名鉄との共有区間をしばらく進み、豊川を渡って名鉄を分かれ、向きを北西へと転ずる。国鉄世代の119系電車はモーターをうならせ、線路からの振動をよく拾ってバウンドする。民営化から20年以上が過ぎ、「国鉄」という表現が今やベテランの代名詞のようになってきた。この119系も、あと数年で置き換えられる可能性が高い。

  豊川駅を出ると線路は単線となり、豊橋近郊から郊外へと移ってゆく。この先天竜峡の前まで、すべての駅で車掌が集札を行うという。8月の旅行で、車掌が汗だくになりながら車内やホームを走り回っていたのを思い出す。こういう路線こそワンマン化すればよさそうにも思えるが、「取りこぼし」をなくすには、車掌がこれくらい働かねばならないのだろう。あるいは、近い将来の車両置き換えにあわせて導入するつもりなのかもしれない。

  この列車、運転席後ろのドア周りがロープで囲われ、「荷物室」と書かれた札が掛けられている。なので一番前の扉から乗降することはできず、乗ろうとした客が慌てて後ろの扉に移動する様が時々見られた。こんな大袈裟なことをして、一体どんな「荷物」が扱われているのか、と思って見ていたが、時々駅に着いたときに、乗り込んだ係員がホームの人に、書類か何かの入っていそうな小さな布袋を渡すくらい。「荷物」と呼んで間違いではなかろうが、わざわざ囲う意味があるのか?と不思議に思う。

あまりにも簡素な「荷物室」 

  この先本長篠のあたりまで、飯田線は微妙にアップダウンしながら豊川西岸の高台を進んで行く。もと私鉄路線の名残か、JR路線ではほとんど見ない細い鉄骨製の架線柱が続く。大海(おおみ)の先、線路は右側に急カーブを切りつつ高度を下げ、鳥居からは左に転じる。地図を見ると、このあたりは豊川と宇連(うれ)川の合流点にあたり、豊川に行く手を阻まれた線路が抗しきれずに逆S字カーブで谷に下りたような形だ。豊橋から約1時間、デコボコの激しい地勢に張り付くような道のりになってきた。これでこそ飯田線だ。


▲ 豊川・宇連川合流点付近。クリックで拡大。

  本長篠からは、制服やジャージ姿の学生がかなり乗り込んできた。この先、普通列車の本数は6割ほどになる。谷間のローカル区間に入り、利用者そのものは少なくなるが、その利用者にとっての重要度はむしろ増してゆく。次の三河大野では、特急「伊那路」のすれちがいを待つ。駅近くには製材所らしきものもあり、山間に入ってきたのだなと感じる。

  湯谷温泉からは谷幅が狭まり、切り立つ渓谷に宇連川の迫る、飯田線序盤のハイライト区間となる。このあたりでは河床が平たい岩を敷き詰めたようになっていて、「板敷川」とも呼ばれるという。線路はそのすぐ脇を進むのだが、その間ほぼ常に木々に阻まれ、列車から見渡せる機会は少ない。ここは木々の姿とセットで鑑賞すべきなのだろうが、今の時期は裸の枝しかないので、風情に乏しい。

木の間からちらちらと見える「板敷川」 

  三河川合から、険しい峠越えに挑む。愛知県から静岡県へ、そして豊川系から天竜川系へと移り、飯田線の旅は新たなステージを迎えることになる。

  <豊橋から中部天竜まで、62.4km・約1時間53分>

 飯田線200キロ・承<中部天竜〜天竜峡>

  豊橋から2時間、中部天竜駅で、列車は少しの休息をとる。その脇には、「佐久間レールパーク」の看板を掲げた建物。夏には盛況だったこの施設も、今は締め切られて人影はなく、2ヶ月前に閉館されてしまったという事実を思い知らされる。この山間の駅に、もうあの賑わいが戻ることはないのかと思うと、少し切なくなる。列車は数分の小休止ののち、何事もなかったかのように旅を再開する。建物の裏に、展示されていた車両たちが寄せ集められているのがちらりと見えた。名古屋に新しく造られる博物館に移されるものもあるが、それ以外はこのまま解体か。せっかくここまで生き延びたのに。時の流れは容赦ない現実を突きつける。

レールパーク「跡」をバックに、小休止を挟む 

  駅を出てまもなく渡るのが、天竜川。飯田線の旅の後半は、この川との長いお付き合いとなるが、ひとまずは天竜川を離れ、水窪(みさくぼ)川の深い谷に入る。有名な「渡らずの橋」などを経て、水窪に着く。V字の険しい谷に、家屋がびっしりと張り付くように並んでいる。ここで、中部天竜から乗り込んできた学生や地元客の大半が下車してしまった。残った数少ない乗客の大半は、豊橋から変わり映えのしない顔ぶれだ。

  長いトンネルで大嵐(おおぞれ)へ抜け、ここから天竜川の谷に沿って進むことになる。川の水は夏と比べるとかなり少なく、周囲の色の乏しさと相まって、いまひとつぱっとしない風景だ。

  伊那小沢(いなこざわ)で、対向列車待ちの停車が7分ほどあるので、外に出てみる。車内からの眺望は、トンネルや林に阻まれて意外と良くないので、じっくり景色を見られる機会は有り難い。無人駅のホームを降りると、駅は川の岸壁の上に立ち、蛇行する天竜川が見渡せる。立地条件としては結構なものだが、ことさらにインパクトが感じられない。このあたりの駅はこんな場所ばかりなので、感覚が麻痺してしまっているようだ。少し遅れてやってきた対向列車は、先回の旅行で中部天竜まで利用したもの。夏の自分とすれちがったような、不思議な気分だ。

伊那小沢駅はホームだけの無人駅 

ホームから望む天竜川。少し離れたところに集落が 

  谷がいっとき開けて平岡。その後再び険しい渓谷となるが、そろそろ眠くなってきた。気が付くともう、終点天竜峡の手前だった。

  <豊橋から天竜峡まで、116.2km・3時間25分>

  ▲印の地図は、カシミール3Dにより作成。地形データは国土地理院のものに基づく。

 トップ > 旅日記 > 旅日記10-1(1)