3.炎天下の広島

 

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 広島での長い一日


 1991年8月19日
 広島→呉→岡山

  旅行の実質三日目となる8月19日。厄介なことに、南海上に台風12号が現れ、九州を狙って北上しているらしい。この時期、九州に台風が近づくのは珍しくないことだが、今後の行程に不安な影を落とす。九州入りしてからは、明日20日には母の実家のある鹿児島・出水に、そして22日にはそこから長崎へと向かう予定にしているが、台風の進路次第で、その予定も大きく狂わされるかもしれない。

  もっとも、まだ広島にその影響は見られない。引き続き天気は良く、暑い。今日は一日を広島観光に充てたのち、岡山へ移動し、夜行快速「ムーンライト九州」に乗って九州を目指すことにしている。

  ユースホステルで同室となった大学生の方と、旅についていろいろ話をした(というより、その人の旅行観を聞かされた)のち、8時半ごろにYHを出る。

広島ユースホステル 

  バスで広島駅北口(新幹線改札側)に到着し、みどりの窓口へ向かって、帰りの「ムーンライト九州」の指定席を確保。ただし、今夜乗る夜行のぶんは依然確保できていない。自由席になんとか空席が残っていることを期待するしかない。

  その後、駅を南北に貫く地下通路をくぐって南口へ。例の重い荷物をコインロッカーに押し込んで、いざ広島観光へ・・、と思ったとき、はたと気づいた。

  窓口に旅のノートを置いてきてしまった。

  今回の旅行から、旅の記録を逐一ノートにつけることにしており(注1)、出発以来常々持ち歩いていたのだが、切符を買うに際して台の上に置き、そのまま忘れていたのだ。金目のものではないけれど、大切な(というより見られると恥ずかしい)記録なので、長い通路を大急ぎで戻る。ノートは置いてきた場所にそのまま残っていた。何とか事なきを得たものの、朝から余分な体力を消費してしまった・・。

  今日1日は広島市内を巡ることになるため、広島市電の一日乗車券(600円)を買っておく。市電に乗ってまずは宇品へ。車に混じって路上をゴロゴロと走る路面電車には、独特の面白味がある。宇品からは九州方面行きのフェリーが出ている(注2)。今夜の夜行の指定席が取れていないので、場合によっては今夜はこの船で・・とも考えていたのだが、台風のことも気になるのでやめて、海を眺めて引き返す。

  市電で市街地へと戻り、中心部の「お好み村」で名物の広島焼きを昼食にいただくことにする。もともと屋台をやっていた店が寄り合ってできたという「お好み村」は改築中で、仮店舗での営業。鉄板上で麺を焼いておいて、その上にお好み焼き(皮と野菜等)をかぶせる格好だが、その麺をそばかうどんかどちらにするかと問われ、どちらかといえばうどんが好きな私は、うどんで頼む。しかしこの選択に後悔することになる。

  焼き上がった広島焼きに手をつけてはみたものの、昨日以来の食欲の低下はさらに激しく、思うようにのどを通らない。麺の太いうどんを選んだことで、なおさら食べにくい。何とか食べきったが、あとには胸苦しさしか残らなかった。申し訳なさと、いったい自分のこの体はどうなってしまったのかという惨めさで、食べなきゃよかったという気持ちになる。

  昼になり、外はますます暑くなってきた。身が持たないので、冷房の効いたダイエーの店内で一休みした後に、広島見物のメインとなる平和公園へ。原爆ドーム、資料館、平和記念館。広島へ来て、この「原爆ゾーン」を訪れないわけにはゆくまい。

  原爆ドームはよく見ると、保存のための処置があちこち施されており、鉄骨なども取り替えられている。この建物の場合、1945年当時の壊れた姿のままでなければ価値がないのだが、風化して見られなくなってしまっては元も子もないわけで、保存の兼ね合いも難しいところだと思う。ただ、これを見せられて「戦争を忘れるな」と言われたところで、戦後50年近くが経過し、親からして戦後世代である自分の感覚とは大きな隔たりを感じるのが現実だ。

老朽化著しい原爆ドーム

  それでも炎天下の平和公園に、人の姿は絶えない。資料館に入り、原爆にまつわるさまざまな展示物を見たのち、平和公園の「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」の石碑を見ると、なんとも空虚な気持ちになる。平和を願うのは大抵の人間にとって当たり前の感情だし、こと、その被害者にとってその気持ちは切実なはずだが、それを殊更に訴えねばならないこと自体が、人類が’過ち’の生き物である現実を物語っている。

平和公園と資料館 

原爆の子の像。千羽鶴の数がものすごい 

  フィルムを1本使い切ったので、再びダイエーへ行ってその1本を現像に出す。とにかく涼みながらでないとやってられない。

  広島観光の締めくくりは、広島城だ。中国地方の大大名・毛利輝元による築で、大規模な城だったようだが、現在の天守閣は戦後の再建である。理由は言うまでもなく、原爆でもとの天守が破壊されたからだ。その鉄筋作りの天守閣に登り、広島の街を一望。16時を過ぎて日は傾き、暑さの中にも涼しげな秋の到来の気配を感じた。

夕刻の広島城 

広島城天守から市街地を望む 

  最後にダイエーで写真を受け取り、市電で広島駅に戻った。

宮島へも直通する広島の市電 

 ああ食欲減退

  広島での観光を終え、今夜は下り「ムーンライト九州」に乗りこんで、いよいよ九州入りを果たす。ただし、この夜行快速は広島を未明に通過してしまうので、時間稼ぎを兼ねて岡山まで逆走する格好になる。さて、広島駅で、夕食用の弁当を買い込もう、と、そこで目に付いた駅売りの夕刊にびっくり。

  ソ連のゴルバチョフ大統領がクーデターで失脚したとのこと。ヤナーエフなる人物(だれも覚えていないだろう。私もノートに書いていたから覚えているだけ)が起こしたクーデターだった。この騒ぎは、数日後にエリツィンに抑えられてあえなく終息。しかしこの年の末にソ連が解体するきっかけとなった。第二次大戦後の冷戦状態という、それまでの常識的な世界情勢が動き出した一件であり、この日に原爆ドームを見てきただけに、印象深いニュースとなった。

  広島 18:55 → 海田市 19:03 [普通 676M/電・115系]
  海田市 19:09 → 呉 19:41 [普通 678M/電・115系]

  混雑する電車で呉線に入る。広島観光で常にギラギラ照りつけていた太陽も、真っ赤になって西に落ち、夜の闇がそれに取って代わる。に着く頃にはすっかり暗くなった。30分ほどの接続の間に、家に電話をかけ、広島で買った弁当に箸をつける。が、食欲はさらに減退、もはや食事は苦痛でしかない。食べ物は要らない、もっと水分をくれ、と体が叫んでいる。

  呉 20:13 → 三原 21:29 [普通 946M/電・115系]

  あとは真っ暗な中、岡山を目指すことになる。岡山着は23時をまわる予定なので、先は長い。呉を出た三原行き電車は、なんと冷房がついていない。窓を開けて走るが、トンネルを出たり入ったりするので騒々しいこと。おそらく海沿いを走っているのだろうが、どうせ景色も見えないし、面白くない。

  三原 21:54 → 岡山 23:18 [普通 482M/電・115系]

  三原からは山陽本線を東進する。ぼーっと過ごし、岡山着は23時18分。「ムーンライト九州」の出発までは1時間ほどある。8月19日の行程はここまでだ。

 注記

  注記の内容は2016年12月現在。

  1. このノートが、このサイトのタイトルとなっている「トラベラーズ ノート」の由来。(ただし「ノート」はnotebookのことではなく、覚書のメモという意味。)この旅行で使っていたのはB5サイズのルーズリーフファイルだったが、この紛失未遂の一件で大きなファイルは不向きと悟り、以降の旅行ではポケットサイズのノート(後に6穴リフィル)を携帯するようになった。

  2. 当時、広島(呉・宇品)〜別府間を「広別汽船」が運行しており、広島発は夜行だった。1999年に廃止。

 

 

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