3.山々の競演

 

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 アップダウン中央線


 1998年1月1日
 新津→新宿→岡谷→飯田→豊橋→神戸

  年越しから5時間。夜行列車は既にきらびやかな東京都心の中にいた。1998年最初の朝、目覚めは悪く、終点新宿到着のぎりぎりまで起きられない。

  まだ朝の5時を過ぎたばかりだというのに、初詣にでも繰り出した人々か、新宿駅の人の往来は激しい。ここから乗り込むのは、中央線の電車。岡谷まではひたすら西へと進めて行くことになる。

  新宿 5:18 → 高尾 6:12 [普通/電・201系]

  まず乗り込んだ高尾行きの電車、夜明けの遠い5時台とは思えない客の多さで、立って過ごす羽目になる。

  ドアの前 眠気吹き飛ぶ隙間風

  後に座席に着いたが、やはり足下がスースーして寒い。寝起きの身には堪える早朝の通勤電車だった。

  高尾 6:15 → 小淵沢 8:29 [普通 427M/電・115系]

  1時間ほどで高尾に着き、電車を乗り換える。昨日散々乗り通した、ボックスシートの115系だ。都会部を進んできた中央線はこれより一転、山間へと入って行く。まだ外は暗いが、周囲の灯りが減り、カーブやトンネルが続くのでその変化が見て取れる。

  やがてようやく薄明るくなってきた。電車が進むのは狭い谷あい、周りは霜で真っ白になっている。モーターをうならせて坂を登り、次第に高度を上げてゆく。しかし車内の寒さは相変わらずだ。それもそのはずで、電車は停車駅ごとに、律儀にドアを全開にしてくれる。冬季の寒冷地では通常、仕切られたデッキのない車両の場合、ドアを半開きの手動式にするものだが、なまじ都心に近いせいか、ここではそうした配慮がない。乗降がほとんどないのに、停車時間中ずっと、外の冷気が入り放題だ。先ほどの電車に続き、身の暖まる間がない。

  霜降りの朝の枯れ野に冬を見る

明け方の谷間、霜で真っ白 

  天気は薄曇りで、これから下り坂と思われる。大月を過ぎるとさらに谷が続き、やがて全長4.6km超の「笹子トンネル」に入る。明治の開通から昭和初期まで、日本一の長さであったといい、これを境に甲府盆地へと入ってゆくことになる。トンネルを抜けると、その眺望が左前方に一気に広がってゆく。見下ろす里は文字通り、お盆の底のようで、その背後にはうっすら白くなった峰が連なる。あれが南アルプスか。

甲府盆地を俯瞰 

  その盆のふちをなぞるように、列車は山のへりを進み、どんどん高度を下げてゆく。塩山(えんざん)までくると、もう「底」まで下ったという感じだ。沿線には果樹園が多いが、時節柄彩りは乏しい。南側には富士山が位置するはずだが、あいにく雲隠れしている。

  甲府で小休止し、これから中央線は再び登りに転じる。先ほど盆地の向こうにそびえていた連峰が、左手の車窓にぐっと近づく。韮崎(にらさき)を過ぎると、右の前方には八ヶ岳が姿を現す。急勾配を駆け上がりつつカーブを繰り返すうち、見え隠れしながらその姿は次第に迫ってくる。

果樹園の中を進みつつ、勾配を駆け上がって行く 

  その間にも左側には甲斐駒ヶ岳を主峰とする南アルプスが続く。同時に片方ずつしか見られないのが惜しい。

  駒と八 左右で張り合い目移りす

  この山々の競演、車窓から味わうだけでなく、立ち止まってしっかととらえておきたい。そういうわけで、高尾からの電車を小淵沢で降りる。この小淵沢からは、標高1375mのJR最高地点を有する小海線が分岐しており、小淵沢駅の標高も900m近い。韮崎の辺りで300m台だったから、25kmほどの間に500m以上も登ってきたことになる。

 名山の裾に立つ

  ここまでくるとまさに高原の風情で、北に位置する八ヶ岳から南に向けて大きく傾斜し、谷を挟んで南西側に南アルプスが連なる。そのダイナミックな地勢を味わうべく、駅を離れて南へ向かい、見通しの良いところまで歩く。

  車窓からだと何かと沿線の建造物に遮られて、全容を一度に捉えるのは難しいのだが、今正面に壁のようにそびえるのは、まさに「連峰」。その中で頭一つ抜きんでた、尖った山頂が甲斐駒ヶ岳だろう。谷を隔ててそこから突き上がる格好なので、なおさら迫力がある。

甲斐駒ヶ岳を中心に、南側に立つ南アルプス 

  振り向けば、八ヶ岳もまた山頂近くに雪をかぶり、高原のそのまた上に座って、負けじと威容を示す。八ヶ岳は厳密には、赤岳(2899m)など幾つかの山が寄り集まったもので、見かけ上いくつもの山頂があるように見える。富士山と日本一の高さを競って勝ったが、負けた富士山に腹いせに頂部を砕かれて、この姿になったという伝承があるとか。この形状から、想像力たくましく考え出したのだろう。いかにも神話らしい、俗的で稚拙な話にも思えるが、「トップに立つ者は、見栄えは立派でもそれなりのことをしているものだ」という風刺が込められているのだとすれば、古代人の発想もなかなか侮れない。

高原に座する八ヶ岳 

  それはともかく、山々の狭間に立ち、スケールの大きなこの高原の中に身を置いていると、ある種の畏怖を感じる。我が身など、山の裾の塵のようなものだ。

  小淵沢駅に戻り、ここの名物駅弁である「元気甲斐(げんきかい)」を購入する。この弁当だが、テレビ番組の企画から、東西の料亭の監修を経て生まれたもので、駅弁らしからぬ手の込みようが売りだと聞いている。1,300円とお値段も結構なものだが、やはりここで降りたからには、味わっておかねばならないだろう。しかしこの、いかにも駄洒落っぽいネーミング、口にするのはいささか気恥ずかしい。そして間もなく、甲斐(山梨県)とはお別れになる。

  小淵沢 9:13 → 岡谷 9:48 [普通 429M/電・115系]

  中央線の電車に乗り込み、旅を再開する。しばらくは引き続き、八ヶ岳が右手に見えるが、山が集まっているという特徴から、進んで行くにつれて角度が変わり、微妙に形を変えてゆくのが面白い。

車窓からの八ヶ岳 

  長野県に入ると、手前に山がふさがって、南アルプスも八ヶ岳も見えなくなる。諏訪湖のへりを辿って、岡谷へ。ここで電車を乗り換え、初めての飯田線に入って行くことになる。

 

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