国鉄高砂線


  加古川から高砂へ、さらにその先、高砂港に至る貨物線につながっていた路線。国鉄高砂工場など多くの工場への貨物線が分岐していました。旅客営業していた加古川〜高砂間は6.3kmでした。

  1913〜1914年にかけて、播州鉄道により開業。歴史的過程から加古川線の支線的存在であり、加古川駅の北側ホームから発着していました。高砂線はそこから南へカーブして山陽線をまたぎ、野口で別府鉄道に接続、山陽電鉄の下をくぐって南側を併走、加古川を渡って高砂へと至っていました。74年の時刻表によれば13往復の運転でした。

  貨物輸送が主体であったせいもあり、国鉄末期の貨物削減に伴って廃止対象となり、1984年11月末で廃止となりました。

  加古川駅付近は、線路の高架化と駅北の再開発に伴い大きく変容し、高砂線在りし日の痕跡はおおかた失われました。そこから尾上にかけては道路に取り込まれており、廃線跡がそれらしく明確に残るのは、山陽電鉄尾上の松〜高砂間の南側くらいです。(ただし加古川橋梁部分は跡形もない。)

 高砂線 加古川〜高砂〜高砂港

  写真中の青矢印は、加古川→高砂港方面を指しています。

[07.8]
  加古川線と共用していた、加古川駅北側のホームから出発した高砂線は、山陽線から分かれて少し進んだところで、加古川線と分岐していました。
  加古川駅高架化に伴って、駅北側は再開発が進み、加古川線も加古川バイパスとの交差地点まで高架線となっていますが、高砂線跡地は今も更地の状態で置かれています。
[96.4]
  在りし日の高砂線はその先で築堤となり、山陽本線を跨いでいました。96年の時点では、道路の部分が切り崩される一方、線路を跨ぐ部分は道路として再利用されていました。ただし、単線軌道幅の築堤なので、道路としては中途半端なものでした。
[01.12]
  山陽線の高架化工事に伴い、この道路は使えなくなりました。今では築堤そのものが平らにならされ、姿を消しました。
[05.11]
  山陽本線の線路を越えたところ。築堤はならされ、高層マンションの脇を進む道路となって続きます。この先尾上駅跡までは、廃線跡は道路に取り込まれています。
[07.7]
  この道路沿い西側に加古川市役所が立ち、その少し南に野口駅跡があります。駅のホーム風のモニュメントに、駅名標と台車が記念碑的に置かれています。この野口駅は別府鉄道野口線との接続駅でした。
[07.7]
  さらに少し南下すると、道路から分岐する格好で、「松風こみち」と名付けられた遊歩道が始まります。これが別府鉄道の廃線跡(赤矢印)であり、高砂線跡はさらにまっすぐ南下します。
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  明姫幹線との交差点、「鶴林寺南」信号。高砂線を跨いでいた名残で、立体交差となっています。この付近に、鶴林寺(かくりんじ)駅があったそうです。この先で道路は山陽新幹線の高架下をくぐり、右へとカーブして山陽電鉄の高架下へと向かいます。
[01.12]
  尾上手前で、山陽電鉄線の下をくぐります。ここまで2車線で続いてきた道路が、この高架下の部分だけ1車線の狭い道になっているところが、いかにも廃線跡らしい。別府鉄道の場合もそうですが、複線電化の山陽電鉄線が、か細い非電化路線を跨ぐためにわざわざアップダウンしていたというのが面白いところです(※)。
[01.12]
  まもなく尾上(おのえ)駅跡に。山陽電鉄尾上の松駅南東に位置する駅跡には、動輪のモニュメントが置かれています。写真に写りこんでいる変な影は無視して下さい(笑)
[07.9]
  尾上の先で道路は尽きますが、山陽電鉄線路の南側に、いかにも線路の跡らしい小道が続きます。鉄橋部分は、ガーダーの上に鉄板が渡されて、そのまま歩行者用に使用されています。この道は加古川橋梁手前まで続きます。
[07.6]
  加古川に架かっていたはずの高砂線の鉄橋は、橋脚を含めて跡形もなく撤去されています。高砂線が早々に見切りをつけられた一因は、ここの鉄橋の維持の問題だったようです。
[05.9]
  加古川橋梁の先では、再び山電線の南側に遊歩道が沿います。
[05.9]
  廃線跡は山陽電鉄高砂駅の手前で南側にカーブします。駐輪場として使われているスペースですが、カーブに沿って建物が背を向けてずらりと建ち並んでいる様は、廃線跡ならではです。このあたりに高砂北口駅があったようで、場所的にはここが山電高砂の最寄り駅。しかし相互の乗り換え利用がどの程度あったかは分かりません。
[05.12]
  山陽電鉄高砂駅の前を過ぎ、廃線跡の遊歩道は引き続き左へとカーブしながら、民家の間を進んでゆきます。このような所を貨物列車が行き交っていたというのが、不思議な感じです。
[05.12]
  遊歩道脇に腕木式信号機と転轍機が立っています。このあたりで、高砂駅側から見てY字形に分かれる格好で、国鉄高砂工場などへと至る貨物線が分岐していたようです。
[05.12]
  遊歩道が突如広がり、バスの転回場となっている道路に。このあたりが高砂駅のあった場所で、道の広がりや周囲の建物の立ち方にその名残があります。高砂駅は、旅客線としての国鉄高砂線の終点でした。
[05.12]
  ここに駅があったことの証として、動輪が置かれていますが、野口や尾上のと比べて錆が目立ちます。奥には駅前商店街としてにぎわったであろうアーケードが見えますが、すっかり寂れてしまっています。バスロータリーもあまり使われている風ではなく、今や人の流れから取り残されている感じです。

[05.12]
  再び単線幅の遊歩道となり、廃線跡はさらに浜側へと続きます。この区間は高砂港駅へと続く貨物線でした。遊歩道には民家が面し、生活道路のようになっています。
[05.12]
  市街地を抜け、埋め立て地へ。
[05.12]
  化学工場などが立ち並ぶ中に広がる荒れ地。杭で柵がされているところなど、いかにも廃線跡という風情です。
[05.12]
  このあたりが高砂港駅だったと思われ、貨物駅らしく広いヤードを持つ駅だったことが察せられます。一部がグランドになっているほかは、「果て」らしく荒涼とした風景です。この先は海。鉄道が貨物輸送の華だった時代には、盛んに荷物の積み降ろしが行われていたことでしょう。

 ※ 鉄道路線同士が交差する場合、一般に「後からできた方が上を跨ぐ」場合が多いようです。(先にできた方がすでに地表に線路を引いているため。)高砂線の開通は1913年、別府鉄道は1921年、それに対して山陽電鉄明石〜姫路間の開通は1923年だったので、後発の山陽電鉄がその上に線路を引かざるを得なかったわけです。両線が廃止された今となってはあまり意味のないアップダウンですが、こんなところにも歴史が現れていて、興味深いところです。

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