4.再び雪国

 

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 嵐の前触れ

  男鹿発の列車が、終点秋田に着くころには、もうすっかり暗くなってしまった。時刻は17時前だが、この先は冬の長い夜となる。

男鹿線列車、秋田到着。薄く積もった雪が照明に照らされる 

  秋田では、昨年の北海道旅行の復路にて宿泊している。ちょうど1年前の同じ日付で、そのときには、廃止間近の特急「白鳥」(大阪〜青森)にもお目に掛かった。今回は駅ビルのみやげ物屋などを覗き、次の電車に着席できるよう早めにホームに戻る。

  秋田 17:39[32] → 酒田 19:23[14] [快速「こよし6号」 3550M/電・701系]

  酒田行き快速「こよし6号」は、例によってロングシートの701系。これが今回の旅行では最後の701系となる。接続「こまち」の到着を待って7分遅れで秋田発。座席を確保した私は、ゆうゆうと寝て過ごす。さすがに夕刻らしく、秋田は満員で出発したものの、地元客が減るに連れて「18ユーザー」とおぼしき人たちの比率がだんだん増えてくる。

  実はこの列車、村上から新宿へ向かう夜行快速「ムーンライトえちご」への最終接続列車となっている。海峡線から奥羽線、羽越線、そして「えちご」へと乗り継げば、18きっぷ2枚分で北海道から首都圏まで移動できることになる。そのため、「こよし6号」は18きっぷ利用者御用達の列車となっているのだ。

「夜汽車」と呼ぶにはスマートすぎる羽越線の701系 

  そういうわけで、酒田に到着すると、大半の乗客がそのまま待合室へ。そろそろ夕食を調達しておきたいところ。しかし時間が時間な上に、駅の規模のわりに大量の客が流れ込んだためか、駅のキヨスクは品切れ状態。仕方ないので、雪のふりしきる中、外へ買い出しに出て行く。

  うまい具合に、駅近くにダイエーが開いており、閉店間際の売れ残りを買い叩くことに成功。398円のぶりの照り焼きを50円で買えたのは収獲だった。普段こんな買い物はしないのに、こんなところで‘主婦’しているとは・・・。ついでに、備え付けのレンジで温めておく。店を出ると、雪がますます激しくなっていた。

雪が激しく。背後は酒田駅 

  酒田 20:07 → 村上 22:39[28] [普通 834D/気・キハ47]

  次の村上行き列車は、気動車。電化している区間だが、村上の手前に、交流から直流への境界(デッドセクション)があるので、ここを通る普通列車はすべてディーゼルだ。ぶりの生臭さを気にしつつ、夕食を取る。やはりこの種の旅はクロスシートがいい・・・。外はもう見えないが、天候が荒れてきたらしく、走っている列車がものすごい風でガタガタ揺れる。横殴りの激しい雪が時折窓に打ちつける。ここまで穏やかな天気に恵まれ、順調に渡ってきたが、今後の行程に一抹の不安を覚える。

  海岸沿いの区間を南下する間、乗り降りは皆無で、乗客の大半が18ユーザーだというのは明らか。坦々と進むうちに、山形県から新潟県入り。ついに東北に別れを告げて、村上から「ムーンライトえちご」に乗り換える。

  村上 22:42[33] → 新宿 翌5:10 [快速「ムーンライトえちご」 3950M 新潟から3720M/電・165系]

  「えちご」は、96年年始(当時は単に「ムーンライト」を名乗っていた)に初めて利用して以来、今回で実に7回目の乗車となる。それだけ毎度の乗り継ぎ旅行で重宝してきた列車だが、急行形165系電車を使用する列車としても、今や希少な存在となってきた。引き続き風雪打ちつける中を、やや大きいモーター音を響かせながら力走してゆく。

ヘッドマークがすっかり雪に覆われた「ムーンライトえちご」 

 絶好調プラン


 2002年1月3日
 (村上→)新宿→松本→糸魚川→富山→神戸

  1月3日。新津を出たあとはよく眠れ、新宿手前でぱっと目が覚めた。車中泊でこれだけ寝起きがよいのは珍しい。ありがたいことに、今回はここまで、体調が良く、行程全体としても至って順調にやってこれた。

  さて、今回の旅行は、最終日は体調と気分次第で3つの予定の中から選ぶことにしていた。

  1.絶好調プラン:新宿→(中央線)→松本→(大糸線)→糸魚川→(北陸線)→神戸

  2.普通プラン:新宿→(中央線)→名古屋→(寄り道しながら)→神戸

  3.絶不調プラン:新宿→東京→(東海道線を直行)→神戸

  ここ2,3年の雪見旅では、最終日は疲労困憊・体調不良というパターンが続いており、今回も同様なら無理せず「絶不調プラン」で帰るつもりでいたが、今回はどうしたわけか、自分でも不思議なくらいに元気・快調。それで思い切って、列車乗りっぱなしの「絶好調プラン」を選択する事にした。

  終点新宿で電車を降りると、東京の朝も冷え込みがきつく、電車の屋根には新潟の雪が固まり、つららのように垂れ下がっている。サボを外してまわる係員も、凍りついたサボを引き抜くのに難儀しているようだった。

上越での雪中行軍ぶりを物語る 

  新宿 5:18 → 高尾 6:13 [普通/電・201系]
  高尾 6:15 → 岡谷 9:07[04] [普通 427M/電・115系]

  新宿からは、おなじみの乗り継ぎで中央本線を西進することになる。まずオレンジの通勤電車で高尾へ。高尾ですぐ、松本行きの電車に乗り換える。紺とクリーム色のいわゆる「スカ色」の115系。徐々に明るくなってゆく中、モーターを高鳴らせながら急勾配を駆け上がり、富士の外縁へと進んで行く。

1月3日の朝日が昇る 電車は勾配を登ってゆく 

  そんな中、すれちがった電車はスカ色ではなく、水色帯の信州カラー。さわやかで私好みのカラーリングだが、以前は甲府あたりまでしか入っていなかったはず。中央東線の115系は信州色に移行し、スカ色は勢力縮小にさしかかっているのか。国鉄時代の姿を残す車両が、またひとつ衰退へ向かっているようだ。

  山を越えると、一気に甲府盆地へと下って行くことになる。この先も続くダイナミックなアップダウンが、中央本線の醍醐味だ。遠くに南アルプスも望めるこのあたりのパノラマは、なかなかの壮観で、今回は空も晴れ渡り、非常に見晴らしが良い。そして、南側の山々の背後に頭を出す富士山。今までになくくっきりと、白い頂が朝日に輝き、こちらもお見事。

  甲府を出ると、再び上り勾配にかかってゆく。韮崎以降、左手にアルプス連峰、右前方に八ヶ岳、そして後方に富士山と、名だたる山々が競演する中央線一番のビューポイントだが、八ヶ岳は雲にすっぽり覆われ見えず、南アルプスも頂上付近にはガスがかかっていた。穴山518m、日野春615m、長坂740mと、ぐんぐん高度を上げてゆき、ドアが開くと冷気が・・車内にいても足元がスースーしてくる。こんな路線こそ、ドアは半自動にすべきだと思うのだが。

青く晴れたクリアな空に南アルプス。寒々とした高原の風景が繰り広げられる 

  小淵沢を過ぎ、長野県に入ると、積雪が目立ちだし、再び雪国に踏み込む予感を覚える。諏訪湖の脇を過ぎ、岡谷で下車。先発する長野行き快速「みすず」に乗り換える。そのまま乗っていても松本へは達するものの、その後の接続の都合で、乗り換えなければならないのだ。

  岡谷 9:08[07] → 松本 9:34[32] [快速「みすず」 3525M/電・115系]

  「みすず」は、今回の行程では唯一のJR東海車両で、湘南色(緑とオレンジ)115系の3両。かつては、新幹線譲りのリクライニング座席を装備した169系急行型電車を使用し、乗り得列車だった「みすず」も、今ではただ駅を幾つか通過するだけの列車になってしまった。

 新米運転士の苦闘

  松本から大糸線に入る。ホームにはすでに、見るからにスキー客といった人々が大勢。そこに入ってきた南小谷行き電車は新型の2両編成。車番を見ると、「E127系」。私としては初めてお目にかかる車両だが、姿かたちはあの701系にそっくり。ただし、ラインカラーは信州色だ。

 松本 9:46 → 南小谷 11:53[36] [普通 331M/電・E127系]

  どうせ座れないので、運転席後ろに立つことにした。が、何やら異様な雰囲気。運転士を取り囲むように、4人もの人が狭い運転室にひしめき、後ろにさらに2人立っている。運転士はどうやら新米さんらしく、横に立った人(指導員?)が時々何か指示を与えている。他の人たちはそれとは直接関係ないようで、めいめいなにやらしゃべっている。彼らはいったい何のために・・?

  そんな奇妙な状況のまま、列車は松本を定刻に出発。ところが、1駅目の北松本で、出端をくじく対向待ち。(時刻表にはこれに該当する対向列車はなく、この時点からダイヤは乱れていたもよう。)乗務員諸氏は、「今日はラッセルが出てるから、それに足を引っ張られているようだ」というようなことを言っている。この先、どんな大雪が待っているというのか。糸魚川まで無事に切り抜けられるのか、不安になってきた。

  一日市場(ひといちば)で、そのラッセル車とすれちがう。この時点で6分30秒の延発。なぜここまで厳密に遅れが分かるかといえば、新米運転士が到着・発車のたびに、時刻表を見ながら「○分○秒延」と口に出すからだ。

  ラッセルが出たというのはおおげさではなく、松本ではうっすら程度だった積雪が、安曇野を北上するにつれ目に見えて増え、一面真っ白に。穂高あたりからは本格的に降り出してきた。そんな雪道は、慣れない運転士には厳しいものらしく、10分、12分・・と、遅れはどんどん拡大。大勢のお目付け役に取り囲まれての苦闘。ここでこれから運転士をしてゆくからには避けられない試練なのだろうが、気の毒にも思える。

乗務員諸氏がひしめく運転席。雪道を進む電車は遅れ拡大 

  雪量はさらに容赦なく増えつづけ、線路は埋まり、駅のホームでは黄色いヘルメットをかぶった「除雪部隊」の人々が奮闘。信濃大町に着いた頃には遅れは18分まで広がっていた。新米運転士の試練の乗務はここで完了。お疲れ様でした。

 雪に埋もれた道

  信濃大町で新米運転士とともに乗務員ご一行様も下車し、ものものしい雰囲気から一転、運転士ひとりのワンマン運転に。こちらはベテランさんらしく、先のぎこちない運転とは打ってかわってテキパキとしたもの。たださすがに、「○分延」と声を出しての確認はしていなかった。

  山の中に分け入り、たっぷりの雪を載せた林の中を列車は進んで行く。線路の両側にできた雪の壁が音を吸収するらしく、車輪がレールの継ぎ目で発する音から本来のリズミカルな金属音が失われ、「ポコン、ポコン」と鈍い音になる。線路もレールがどこか見分けがつかない状態。それでも難なく走ってゆく電車はすごい。併走する道路に渋滞の長蛇の列が続いているのと対照的だ。

雪に埋もれたホーム。海は遠いが「海ノ口」駅 

  簗場(やなば)、ヤナバスキー場前などでスキー客が下車、そして白馬で大半が降りてしまい、ようやく空席ができた。電車の終点となる南小谷には17分遅れの11時53分に到着。慣れた運転士の腕をもってしても、取り戻せた遅れは1分だけだった。ここで、宮城県の館腰以来続いてきたJR東日本エリアの旅は、終わりを告げる。

  ここ南小谷から糸魚川までの残す区間は、JR西日本の非電化区間となるが、そこを走るのは、「西」ではここだけとなったキハ52気動車。列車は1両。乗り換え客が意外と多かったため、満員となった。定刻では11時49分発だが、松本発の電車到着を待ったため、こちらも数分の遅れとなった。皆が乗り換えたところで、すぐの発車。

大糸線のキハ52 

 南小谷 11:55[49] → 糸魚川 12:45[41] [普通 433D/気・キハ52]

  このキハ52だが、一昨日、昨日と東北で利用した「東」の52がリニューアルを受け、よく手入れされていたのと対照的に、「西」の52は車内が暗く、そのせいもあって全体的にボロが出てしまっている雰囲気。すいていればそれを楽しむゆとりも出てくるのだが、そんな車両1両に詰め込まれてしまうと、不快感が先に立つ。スキーシーズンくらい増結してくれないものかと思うが、最近の「西」のローカル線減量作戦の徹底ぶりは、いささか目に余る。

  険しい山に挟まれた姫川の谷。川が幅いっぱいに広がったかと思うと、蛇行する川が谷を深く削る。95年から97年にかけて水害で長期不通になった小滝までの区間は、とりわけダイナミックな地形で、その端っこをたどる線路は、なんとも心もとないばかり。トンネルや雪よけシェルタが連続する中、旧式気動車は時折スピードを上げつつ、下ってゆく。

切り立つ崖、谷を削る川 

  積雪そのものは白馬あたりをピークに減ってきたが、真昼だというのに依然暗いモノクロの世界が続く。とはいえだんだん谷は開け、根知あたりまでくるとやっと出口が見えてきた感。

  いつも年末年始には「雪見旅」と銘打って豪雪路線に乗ってきたが、実は今回の大糸線ほど、雪のふりしきるさなかに縦断を敢行した路線は、これまであまり記憶にない。最悪、列車が動かなくなってリタイヤすることも覚悟した雪中行軍だったが、最終的には4分遅れで無事糸魚川に到着。

  ついに今回の旅行も、残すところ半日。あとはひたすら神戸に向けて北陸本線を走るのみだ。ここ数年の例からして(特に今回は荒天が予想されていたので)、道中、波乱のひとつふたつはあろうと覚悟していたにもかかわらず、自分でも怖いくらいにここまであまりにも順調に来てしまった。そろそろ何か落とし穴があるのでは・・・。

  漠然と抱いていた不安は、まもなく現実のものとなる。

 

 

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