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 電化祭りの余韻


 2003年3月21日
 粟生→福知山→小浜→敦賀→長浜→三ノ宮

  妹が「青春18きっぷ」を1日分使わせてくれることになり、今回出かけることにしたのは、3月15日に電化されたばかりの小浜線。過去2回(91年12月99年10月)訪れたその路線が、電化によってどう変化したのかを見てみたい。

  3月21日の朝はきりっと冷え、粟生を出発するころにちょうど朝日が昇りはじめた。朝もやがかかっているが、天気は非常によい。2両の気動車で加古川線を北上する。

  粟生 6:12 → 西脇市 6:35 [普通 1321D/気・キハ40系]

  この加古川線は、2005年春の完成予定で電化工事が進められており、さる12月には沿線を車で走って、全線の工事進捗状況を調査した。加古川線そのものは、今のままでも何ら不自由はないはずだが、周りが電化した中で、ここだけにディーゼルを残すのは不経済だからということだろう。この点では小浜線も似た境遇にあり、今回の同線訪問は、加古川線電化に先駆けた「偵察」の意味もある。

西脇市駅の静かな夜明け 

  西脇市 6:58 → 谷川 7:30 [普通 2323D/気・キハ40系]

  西脇市で列車を乗り換え、谷川へ向けてさらに北上。この区間、さきの調査のさい、あまりのローカルぶりに「ほんまに電化するの?」と思ったが、今列車の側から見て、改めてそう感じる。1両の列車に乗客はほんの数名。25km/hの制限区間にかかると、今にも止まりそうな速度でそろりそろりと通過してゆく。そして、一見「ヘン」に見えてしまう「日本ヘソ温泉」の朽ちた看板が線路の脇に。先日沿線巡りをしたときには、そんな温泉らしきものは見かけなかったが・・・。この看板と同様、すでに朽ち果ててしまったのかもしれない。

  ともあれ谷川に到着し、ここからは福知山線に乗り換える。かつて新快速として活躍した117系電車だが、ドア付近はロングシートに替えられた車両だ。ドアは半自動になっており、手で開け閉めしなければならない。

  谷川 7:43[41] → 福知山 8:25[20] [普通 2525M/電・117系]

  電車は霧の中に突入。元新快速車だけに、普通列車のわりにクッションがよく、田園地帯を快走する。ただ、ダイヤは若干乱れており、離合待ちをするごとに少しずつ遅れが広がり、終点福知山には5分遅れで到着した。福知山駅は高架化工事中だが、1年半前に訪れたときからほとんど進んでいないように見えた。

福知山線の117系 

  次に乗る列車、それが小浜線に入ってゆく電車となる。今回、電化に際して新しく開発・投入された125系が2両つながっていた。先頭側の車両に乗り込むと、‘新車の香り’がする。車番は「クモハ125-1」。トップナンバーとはなんとなく嬉しい。遅れていた福知山線電車からの乗り換え客が乗り込むと、すぐに発車。車内には、自分と同様、この125系を目当てに乗りに来た風の人が多い。

  福知山 8:28[27] → 若狭本郷 10:02 [普通 929M/電・125系]

  さすが新型車両らしく、電車は静かに、しかし力強く加速してゆく。綾部までの山陰本線の区間は複線のよく整った線路なので、特に軽快な走りを見せてくれた。綾部から単線の舞鶴線に入ると、線路のグレードは下がるが、谷間の下り勾配区間をかなりの速度で駆け抜ける。谷がひらけ、西舞鶴、そして高架駅の東舞鶴へ。ここからいよいよ、このたび電化された小浜線に入るわけだが、その前に20分間の小休止がある。

小浜線に颯爽とデビューした125系電車 

  ホームでは、ぴかぴかの新車を撮影する人の姿がちらほら。改札を出て外から駅を見上げると、『祝 小浜線電化開業 舞鶴市』の垂れ幕が。3月15日の開業日には、記念セレモニーなどやって、さぞかし盛大に祝ったことだろう。もっとも、電化の恩恵に浴したのは、主に小浜方面から舞鶴にやってくる人々だろうから、舞鶴市自体がこの電化をどれほど喜んだかは分からない。

  小浜線電化前は、ここ東舞鶴ですべての列車が分断されており、乗換えを強いられていたが、今回の電車はそのまま小浜線へと入ってゆく。電車だけに加速は鋭い。かつて2回利用したときのキハ58の鈍重さと比べると格段の差だ。ただ、線路のグレードが舞鶴線よりさらに下がるので、結構揺れ、体感速度も上がる。ゆえ、実際にどれほどスピードアップしたのかと言われると、その感覚はあまりあてにならない。

  電化に伴い、各駅のホームがかさ上げされている。アスファルトが敷きなおされたホームは野暮ったさがなくなり、これだけでもずいぶん近代化した印象を受ける。沿線には電車を見送る住民の姿。電化祭りの余韻は残っている。

 小浜線の光と影

  電車は敦賀行きで、そのまま乗っていれば小浜線を走破してしまうことになるが、それだけではつまらないので、若狭本郷という駅で下車してみることにする。

ちょっと場違いな感じのする若狭本郷駅 

  ここの駅舎は、1990年に開かれた大阪花博で使われた「風車の駅」が移築されたもので、全般にひなびた雰囲気の小浜線にあって異彩を放つ存在となっている。そして駅の北側、国道27号沿いに、「ぽーたる」と名づけられた建物が立つ。地元大飯町の土産などが販売され、軽食もとれる「道の駅」的な存在なのだが、鉄道模型のジオラマが展示されていたり、外には花博で走ったSL「義経号」のレプリカが置かれていたりして、駅舎と一体のスポットになっている感。

「ぽーたる」前に置かれているSLのレプリカ 

  しかしこの一角を少し離れると、やはりひなびた漁村の雰囲気になる。空は快晴で、朝の冷え込みから一転、日差しが暖かい。先に「ぽーたる」で食べたうどんの熱気も残って、汗ばんでくる。日本海側のあの陰鬱なイメージは、今日に限っては微塵もない。5分ほど歩くと、若狭湾の中のさらに小さな湾である小浜湾に出る。正面に見える半島には、高圧電線がびっしり張り巡らされている。この半島の先に、原子力発電所があるのだ。これさえなければ、絶好に眺めのいい入り江なのだが・・・いや自分も、こんなところで作られている電気の恩恵に、多少なりともあずかっている身。文句は言えまい。

本郷の海岸風景。山に張り巡らされた電線が「原発銀座」を物語る 

  続いて線路際に移動。ダイヤが正常なら、舞鶴方面から特急「まいづる」が来るはずだ。週末・休日限定ながら京都〜東舞鶴間の特急「まいづる」が1往復、小浜まで延長運転するようになった。小浜線が非電化路線として孤立して以来、優等列車も走らなくなっていたが、これも電化開業の恩恵のひとつである。果たして、若狭本郷駅を出た「まいづる」が近づいてきた。貧相な小浜線の線路にアンバランスな特急の車体が、加速しながら目の前を通過していった。2年後に同じように電化される加古川線では、まず望めない光景だ。(注1)

  若狭本郷 11:18 → 敦賀 12:55[54] [普通 931M 小浜から933M/電・125系]

  小浜線の旅を再開する。今度の小浜行き電車は125系の「本領発揮」ともいえる1両単行で、わんさと立ち客を収容している。私は車両後部の、運転席横の空間に入りこみ、後方に流れてゆく景色を眺めて小浜までを過ごした。

  時刻表の上では、この電車は小浜行きで、小浜で敦賀行きに接続することになっているが、小浜到着前に、「この電車がそのまま敦賀行きになる」とのアナウンスがあった。小浜で客の大半が降りたので、そのすきを突いて、一人がけの椅子を確保する。この125系、座席の配置が2列-1列となっており、いずれも方向転換ができる。つまり、一人がけの椅子に座れば、人と向かい合わせになることもなく、心置きなく車窓を楽しめる特等席となるのだ。

  ただし、それはとりもなおさず、座席が少なく通路が広い、つまり立ち客率が多くなることを意味する。しかも列車は1両。当駅始発だと思って小浜から乗り込んできた乗客が、立ちんぼを余儀なくされることになる。以前の小浜線はキハ58系の2両編成が中心だったから、着席率は激減だ。

  JRとしてはこの125系を導入することで、全体の定員を確保しつつ車両数を減らす意図があったのだろうが、これは利用者側からすれば電化の負の側面と言えるだろう。座席を陣取った張本人がこんなことを言うと、実に偽善的なのだが。(注2)

  先に見送った「まいづる」は小浜のホームにいたが、そのまま折り返し京都行きとなり、あわただしく去っていった。

古びた給水タンクと真新しい架線ポール、その脇を走り去る特急「まいづる」 

  敦賀行きとなった普通電車は、引き続き小浜線を東進する。しばらく平地を進むが、山地にぶつかって北に折れる。この山脈には、てっぺんの方に雪が残っていた。ここから小浜線は小刻みにアップダウンを繰り返すが、キハ58系だとてきめんにスピードダウンしていた勾配も、新型電車は何食わぬ様子で上ってゆく。12時55分、定刻より1分遅れで電車は終点敦賀に着いた。車内は最後まで混雑したままだった。

 長浜再訪

  お目当ての小浜線の旅を終え、あとは北陸線を南下して神戸を目指すことになる。敦賀駅の構内は広く、片隅にはつい1週間前まで小浜線で活躍していたキハ58系が、寄せ集められ留置されていた。おそらく、大半がそのまま重機の餌となる運命なのだろう。

役目を終えた元小浜線の気動車たち 

  乗り込んだ電車は、もはや北陸の定番となった寝台電車改造の419系。相変わらず不恰好で薄暗くて薄汚れた電車だが、さきの小浜線の新型電車と比べるとなおさら落差を感じる。その電車が、のっぺりした先頭部に、125系のイラストが入った「小浜線電化開業」のヘッドマークを掲げているのが、なんとなく滑稽に思えた。

長い長い敦賀のホームに停まった419系の3両編成 

  敦賀 13:17[16] → 近江塩津 13:34[33] [普通 4846M/電・419系]
  近江塩津 13:34[33] → 長浜 13:35[34] [普通 140M/電・419系]

  電車は敦賀を出ると、けたたましいモーター音を響かせながらループ線の勾配を駆け上がる。近江塩津で長浜行きに乗換えるが、こちらもまた419系。あとは下り坂となるが、走りが騒々しいので実際の速度以上にスピード感がある。しかしこの区間(敦賀〜長浜)も数年後には直流化され、大阪方面から新快速なども直通してくることになっている。そうなると、ここでの419系の働きも終わるだろう。あるいはそのときが、この「急場しのぎ電車」の終焉となるのかもしれない。

  長浜は、91年冬以来の訪問となる。そのときはちょうど今回とは逆周りの行程で、三ノ宮→長浜→敦賀→舞鶴→三田と辿った。長浜では雪の降り積もる中を歩き回ったが、一つ心残りがあった。それは、現存最古の駅舎である旧長浜駅舎を使った「長浜鉄道資料館」が、年末のため休館で、入れなかったことだった。当然今回は、その訪問のための時間を取っている。

  長浜駅から南へ少し歩くと、線路の脇にレトロな建物が見えてくる。これが旧長浜駅舎だ。先回は外から眺めるだけだったが、今回は中に入り、300円の入場券を買う。駅舎内では、明治の乗客を模した人形が出迎えてくれる。このサイトのFLASH「子連れ鉄」に出演いただいているのは、ここの人形である。

1882年開業の旧長浜駅舎。明治建築ならではの風格が漂う 

  この駅舎の裏に、新たに建物が建っており、その名も「長浜鉄道文化館」とリニューアルしている。数多くのパネルが展示され、東海道線と北陸線の要所として機能してきた長浜の歴史を辿ることができる。HOゲージの鉄道模型が周回するようになっていたが、あいにく走る姿を見ることはできなかった。

  この鉄道文化館、まだ開発途上で立ち入れない部分もあり、消化不良の感は否めなかったが、ともかく11年越しの願いは叶い、私は満足して引き揚げた。

  長浜 14:42 → 三ノ宮 16:36 [新快速 3551M/電・223系]

  あとは新快速で一直線に三ノ宮を目指す。車窓左手には伊吹山。これまで、東海道線や北陸線に乗る際に、何度となく近くを通っているにもかかわらず、天気の悪いときばかりで、全容を見る機会に恵まれなかった、私にとっては「幻の山」のような存在。ようやく今回初めて、まともにお目にかかることになる。頂上付近に雪の残るその姿が、青空の下くっきりと見える。だが・・・西側から見ると北側斜面が大々的に削られている。もっとも、これはもともと石灰岩が露出していることによるらしいのだが、「張りぼて」のようで、やや残念な光景だ。

伊吹山。裏側は見なかったことに・・・ 

  米原を過ぎると新快速はいつもの俊足を飛ばして南下してゆく。例によって次第に客は増えてくる。だが思えば、今回席にありつけなかったのは、若狭本郷から小浜までの間だけだった。

 注記

  注記の内容は2016年7月現在。

  1.特急「まいづる」の臨時延長運転は2007年頃まであったようだが、現在は行われていない。

  2.この着席率の低さはやはり問題になったらしく、のちに小浜線の125系は2列-2列の座席に変更された。ただし、2004年の加古川線電化のさいに導入された125系は2列-1列席となった。

 

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