1.ありがとう余部鉄橋

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 日本海を目指して


 2004年5月3日
 寺前→餘部→浜坂→鎧→餘部→寺前

  兵庫北部の「余部(あまるべ)鉄橋」には、これまでに何度か訪れている。その最初が93年3月だったが、以後山陰本線の旅行に際して数回渡っているし、家族で香住に出かけたときにも立ち寄っている。日本海の荒波打ち寄せる入り江の漁村、その頭上にそびえる真っ赤な鉄骨の橋。これほどのインパクトを与えつつ、かつ周りの風景に見事にマッチした建造物は、なかなか他にはないと思う。しかしこの10年ほどの間に、余部鉄橋を取り巻く状況は大きく変化した。

  明治の昔に架けられて以来、文字通り「屋台骨」として山陰本線を支えてきた余部鉄橋だが、1986年の痛ましい列車転落事故以降、風による通行規制が厳しくなった。安全上当然のこととはいえ、列車の確実な運行という点ではネックになる存在となった。加えて1994年に鳥取へのバイパス線となる智頭急行が開業したことや、山陰線の電化が京都側から城崎まで通じたことにより、一続きの路線としての山陰線の重要性は薄れ、城崎〜鳥取間に入る優等列車は激減した。そして地元との協議の結果、余部鉄橋はコンクリート橋に架け替えられる方向になった。

  そういうわけで、機会あるうちに今一度きちんと余部鉄橋を訪れておきたいと思い、2004年のゴールデンウイークに出かけることにした。

  今回は播但線の寺前から列車を利用する。1月に写真撮影のために播但線沿線を訪ね、そのさい寺前駅前に一時貸し駐車場があることを知ったので、そこまで車で行こうと思う。7時32分発の和田山行きを目指して、家を出た。

  ところがその時になって、出発時間を勘違いしていることに気がついた。逆算してゆくと、下道を走っていてはどうにも間に合いそうにない。プランニングの段階では、さんざん時刻表とにらめっこして、分単位の計画を几帳面に立てるくせに、いざ動き出す段になるといい加減になってしまうのだから情けない。仕方ないので高速道路を利用することにしたが、それでも間に合うかどうか分からない。高速代まで払って、結局間に合いませんでしたとなれば全く馬鹿らしいが、焦って事故でもすれば最悪なので、もう次の列車でもいいやと腹を決めて、車を走らせた。

  寺前駅に着いたとき、時計は7時30分を指していた。間に合うかどうか、微妙な時刻だ。もちろん切符を買う間はない。急ぎそのまま改札を通り抜け、慌ただしく列車のいるホームへ向かった。私が乗り込むと、1両編成のディーゼルカーはまもなく重い腰を上げて歩みを始めた。

  寺前 7:32 → 和田山 8:20 [普通 1225D/気・キハ41]

  あいにく、天気はあまりよくない。予報では午後からさらに悪くなるというから気が重い。列車は市川沿いの渓谷をのんびりと走って生野へ。生野を出るとトンネルに入り、峠を越えた列車は勢いよく勾配を下ってゆく。峠を境にしたこの豹変ぶりはディーゼルならではだ。ワンマン列車なので切符を買うことはできず、乗換駅となる和田山までは無札乗車となる。居心地がよくないが、しかたない。

渓谷を経て生野へ。山を越えると「日本海側」となる 

  8時20分、和田山着。山陰線と播但線の合流する拠点駅だけにホームは異様に長いが、人けはなく、そこにいるのは折り返し寺前行きとなる1両の気動車だけだ。ホームの向こう側にはだだっ広いヤード跡地が広がっており、れんが造りの検車庫跡が寂しくぽつんと取り残されている。

れんが車庫と山陰線電車 

  陸橋を渡って、駅の窓口で「寺前から乗ってきたんですけど、浜坂まで」と言って、ようやく乗車券を手にする。この和田山の駅舎は、一昔前の鉄筋建築で、おそらく20年くらい前に、満を持して建て替えました、というところだろう。しかし今ではホームと同様、何となく寂れた感が否めない。少し駅周辺を歩いてみたが、街の雰囲気はこの駅舎に象徴されるものだった。駅に戻り、待合室のキヨスクで朝食用のパンを買おうとすると、店はあいているのにだれもいない。待合室にいたおじさんが、「ホームのほうに行っとるかなあ」と言っていたが、しばらくすると販売のおばさんが戻ってきた。

  和田山 8:58 → 豊岡 9:26 [普通 425M/電・113系]

  次の豊岡行き普通列車は2両編成のワンマン電車。長いホームの真ん中にちょこんと停まった。車内は結構混んでおり、何かのスポーツクラブか、子供の団体さんも陣取っている。さすがに電車は加速度が違う。2両という編成の短さも手伝って、モーターの回転がそのまま推進力につながっているという感じだ。

  豊岡のホーム向かいで待っていたのは、播但線のと同じタイプの、ワインレッドに塗られた単行気動車。乗り換え客が乗り込んだことで、かなりの乗車率になって豊岡を出発した。城崎までは架線の下を走るが、やはりディーゼル、足取りが重々しい。車内が満員なのでなおさらそう感じられる。

  豊岡 9:32 → 餘部 10:30 [普通 167D/気・キハ41]

  城崎から2つのトンネルを抜け、竹野を過ぎると、待ちかねた日本海のお出ましとなる。天気は今ひとつだが海面は穏やか。入り江の透き通ったグリーンから、沖合いの重い紺色へのグラデーション。何度見ても飽きない、日本海独特の光景だ。

入り江の漁村の風景。天気が気になる・・・ 

 餘部まつり

  香住は特急も停車する比較的規模の大きい駅であり、ここで乗客がかなり減るのではと読んでいたのだが、着いてみるとホームには大勢が待っていた。結局、降りる客より乗る客のほうがはるかに多く、たった1両の列車はいよいよ超満員になった。こちらの方向へこんなに乗ってくるとは。もしや皆、実は私と同じ場所を目指しているのでは・・・

  香住を出ると、列車は勾配にさしかかる。満員の気動車は苦しげに坂を登り、入り江を望む丘の上に位置する駅へ。ここを出るとすぐトンネルに入る。この先の展開を知っている私は、さあいよいよと、集中力を高めて窓の外に目を留める。

  トンネルを出た瞬間、列車が空へ放り出されたような感覚に陥る。真下に集落、そして海。ダダン、ダダンと鉄橋に響かせる足音が次第に鈍くなり、渡り終えたところに待つ餘部駅のプラットホームに滑り込む。駅に到着すると、車内を埋め尽くしていた乗客の大半が降り口へ向かう。やはりお目当てはここだったのか。山の上の線路際に無理矢理造ったような狭いホームが、いっとき人で埋め尽くされた。

多数の乗客を降ろして、餘部駅を去ってゆく列車 

  この駅の出入り口は一カ所、鉄橋側にあるが、もともと改札も、駅舎さえもない。余部集落へと下ってゆく、山道のような歩道があるだけだ。ある人たちはそのままそちらへ向かい、ある人たちはホームにとどまって、今渡ってきた橋を眺めたり写真を撮ったりしている。

橋、集落、岬、海。余部のすべてが堪能できる 

  私もまずホームから何枚か写真を撮り、それから歩道を下りつつさらに橋を眺める。歩道はつづら折になっていて、一度橋の下をくぐり、もういちど折れてまたくぐり、最後は橋の真下にたどりつく。地面にしっかと打ち込まれたコンクリートの基礎に突き立てられた、赤茶色の鉄骨。これが、今自分が乗ってきた列車を含め、ひと世紀近くの間に橋を渡った数限りない列車たちを支えてきた「足場」なのかと思うと、感慨深い。

  余部の公民館で、鉄橋の写真展があるとのことなので、まずはそちらへ向かう。見知らぬ土地の公民館に入るなど、こんなことでもなければ機会のないことだ。写真は全般に貴重なシーンばかりで見応えがあったが、提供されたものをスキャナで取り込んで拡大印刷しましたという風で、やや安っぽい映りだったのが残念だった。

  そのうちの1枚に、かなり昔のものと思われるが、何人かが連れ立って、徒歩で鉄橋を渡っている様子を収めたものがあった、アングルからして、鎧寄りのトンネルの出口側から撮ったものだ。季節は冬と思われる。今では考えられない危険な行為だが・・・

  余部鉄橋が完成したのは明治45年だが、餘部駅の開業は昭和34年となっている。ながらく、余部集落は橋のふもとに位置しながら、その上を走る列車の恩恵を受けられなかったのだ。

  当然、この集落の住民が汽車に乗るには、隣の鎧駅まで歩かねばならなかったことになる。(鎧駅の開業は明治45年。)しかし雪が積もって道が閉ざされたなら、残る方法はただひとつ、線路に沿って鉄橋とトンネルを歩くしかない。余部住民にとって鉄橋は外の世界とつながる唯一のルートだったわけだ。ゆえにこそ、ようやく余部に駅ができることになったとき、地元住民は総出で喜び勇んで協力したのだろう。(そのときの様子が、余部駅脇の壁画に描かれている。)

  しかし、公民館で押した記念スタンプには、「さようなら餘部鉄橋」「ありがとう餘部鉄橋」の文字。架け替えの話は、正式決定にこそ至っていないものの、地元ではすでに既定路線とみなされているのだろう。そのゆえに今余部界隈は賑わっているわけだが、そんな光景を見て、果たして地元の人々は何を思うのだろうか。

  橋の下をくぐる国道178号線。通行量はさほど多くないにもかかわらず、一カ所、車があふれかえっている場所がある。県外ナンバーの車も少なくない。鉄橋の真下に設けられた展望所。ご親切にも、橋の上を列車が通過する時刻が掲示されている。見上げると、鉄橋の橋桁に白い文字で書かれた「山陰本線 余部橋りょう」の文字がくっきり見える。

  上りの普通列車がやってきた。先に乗ってきたのと同じ赤いディーゼルの2両編成。展望所にいる人たちの視線が一斉にそちらを向く。そして列車に向かって手を振る。そういえば、さっき自分が橋の上から眺めたときにも、展望所から大勢の人が、自分のほうを見上げていた。お互い見ず知らずのはずだが、こんなときは不思議な連帯感を覚えるものだ。

  そして、鉄橋はやはり、列車の通るときが一番格好いい。

鉄橋をゆっくりと通過する普通列車 

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