2.ざわめきと安らぎと

  写真はクリックで拡大表示します。ブラウザーの<戻る>でお戻りください。

 ひっそりとした折り返し点

  さて、私が和田山で購入した乗車券の行き先は、餘部ではなく、2駅先の浜坂である。つまり餘部での下車は「途中下車」扱いで、切符の効力はまだ残っている。今回あえて浜坂へ向かう理由はないのだが、寺前から餘部までと浜坂までとでは運賃が一緒なので、一応浜坂までにしておいたのだった。

  うまい具合に、餘部11時50分発の浜坂行き「あまるべロマン号」という列車がある。これは、豊岡→(餘部)→浜坂→(餘部)→香住→(餘部)→浜坂→(餘部)→豊岡 というふうに、今日一日餘部の前後を行ったり来たりする臨時快速である。もともと運転本数の少ないこの区間にあって、まさに余部鉄橋観光のために設定された列車であり、これを利用しない手はない。

  細い山道を、駅へ向かって小走りに登ってゆくと、ちょうど「あまるべロマン号」が鉄橋上に姿を現わした。パノラマ運転台のある2両編成。減速しながらじりじりと橋を渡り、乗客に橋の上からの眺めを堪能させているようだった。列車は例によって大勢の乗客を餘部の狭いホームに吐き出し、入れ替わりに私は、ほとんど空になったその車内へ歩を進めた。

  餘部 11:50 → 浜坂 12:02 [快速「あまるべロマン」/気・キハ65]

  快速は次の久谷は通過し、ノンストップで浜坂を目指す。この列車は、急行形のキハ65という気動車を特急用に改造した「エーデル」車で、前後はパノラマ展望席となっている。餘部を出るとトンネルをくぐり、そこから浜坂へ向けて勾配を下ってゆく。わずか10分強だが実に快適な乗り心地を楽しめた。いまや特急もめったに走らなくなったこの線区で、鈍行タイプ以外の車両に乗ること自体、貴重な経験である。

  そして浜坂着。ここが今回の旅の折り返し地点となる。一旦改札を出て、復路の寺前行きの切符を購入する。驚いたことに、駅前は実に閑散としている。浜坂は但馬北部では香住と並ぶ拠点駅のはずなのに、まるで活気が感じられない。「あまるべロマン」の折り返し列車も、着いた時とほぼ同様のガラガラ状態で出発していった。

給水タンクが残る浜坂駅。「あまるべロマン」号はそのまま折り返す

  思えば、このあたりが最も賑わうのは、冬場のかにの時期か、夏の海水浴シーズンだろうから、ゴールデンウイークは意外と「オフシーズン」にあたるのかもしれない。だがそれにしても、餘部が鉄橋ひとつで大勢の人を呼んでいるのに・・・。浜坂はこれまで個人的に何度か訪れている土地だけに、そこが人の流れから取り残されている様は、見るに忍びない。

  浜坂 12:31 → 鎧 12:48 [普通 172D/気・キハ41]

  半時間ほど浜坂に滞在して、上り普通列車に乗り込む。余部鉄橋の高さは40mほどなので、ここからそれだけの高さを登ってゆくことになる。久谷からトンネルを抜け、餘部に着くと、例によって多数の客が乗り込んでくる。どうやらやはり、人の流動は鉄橋の東側に偏っているようだ。駅を出ると、満員の乗客の視線は海側に集中する。先ほど自分が列車を見送った展望所には、このたびもこちらを見上げる大勢の人の姿が認められた。

  鉄橋を渡り、トンネルをくぐり抜けると、駅に着く。その名前とロケーションから、以前より気になっていた駅で、いつか途中下車したいものだと願ってきた。意外にも、私のほかに10名ほど、ここで列車を降りた。皆が地元の人とは思えず、おそらく私と同様、見物目的の下車だろう。鉄橋観光とセットのコースとみなされているのかもしれない。

  この駅は入り江を望む高台に位置し、眼下に小さな漁港がある。ホームそのものが展望台のようになっている。ちょうど時節柄、その漁港の端から端へ、鯉のぼりが連ねられて風にはためいていた。駅のホームは古びていて無駄に長く、線路のあちこちに草が生えて、いかにも凋落路線の感が否めない。

鎧駅のホームから、小さな漁村が望まれる 

  香住側から、列車が近づいてきた。特急「はまかぜ」が7両編成を組み、エンジン音を響かせながらゆっくりと通過してゆく。このあたりでは1両や2両の短い列車ばかり見慣れていたので、これだけの長さの列車には違和感を覚える。昔なら鈍行でも当たり前の長さだったのだろうが・・・

  同じく香住側から、またも列車がやってきた。浜坂で見送り、香住で再び折り返してきた「あまるべロマン号」だった。今度は2両なので、あっという間に通り過ぎる。列車がトンネルに潜ってゆくと、その足音は遠ざかり、鎧の入り江に再び静寂が戻ってくる。

「あまるべロマン」が鎧のホームを通過してゆく 

 名残惜しく餘部を去る

  鎧 13:35[34] → 餘部 13:37 [普通 173D/気・キハ41]

  鎧で50分ほどを過ごして、下り列車で再び餘部へ向かう。今日3回目となる余部鉄橋の通過。ひと区間の運賃140円を払って、ワンマン列車を降りた。最初に訪れた午前と比べると人は減ったが、依然賑わっている。懸念された天候だが、どうやら昼の間は大丈夫そうだ。今からだと、15時23分発の豊岡行きまで、2時間弱の時間がある。まだまだ去るには名残惜しいので、鉄橋周辺の散策を十分楽しんでおこうと思う。

  実にいろんな角度から眺められるのが、この鉄橋の魅力のひとつだ。駅から少し登ったがけの上は「お立ち台」とも呼ばれ、日本海をバックに橋を渡ってくる列車を、絶好のアングルでとらえることができるため、かなりの人が三脚を立て、列車が来るのを待ち設けている。集落へ下り、南側へ、真下へ、海岸側へと、どこへまわって見ても、この真っ赤な橋はよく目立つ。そして絵になる。

  鎧で見届けた快速「あまるべロマン」が、またも現れた。再び浜坂で折り返し、豊岡へ向かう便だ。餘部駅を出た列車は、このたびもゆっくりと橋にさしかかり、今日最後の空中ショーを乗客に披露する。次いで、特急「はまかぜ」の通過を見るため、北側の岬へ向かう細い道に沿って歩き、海を隔てて鉄橋を一望できる場所へ。現れた「はまかぜ」は7両。短い列車ばかり見慣れた目には、実に堂々たる編成だ。これぞ余部鉄橋にふさわしい貫禄。キハ41には失礼だが、やはりあの変な顔のワンマン列車では、釣り合いが取れているとは言い難い。

轟音を谷間に響かせ、「はまかぜ」が地上40mを通過してゆく 

  今日は朝から動き通しで、そろそろ疲れてきたので、鉄橋の下の喫茶店で一服がてら、遅い昼食をとる。窓の外にそびえる橋の姿を見ながら、改めて、「余部鉄橋」の存在とは一体何なのだろうかと思いを巡らす。地元には、この喫茶店のように「経済効果」の恩恵に浴している人もいれば、この騒ぎに辟易している人も少なくないだろう。空から列車が降ってくるという、信じられないような悲劇。そのショックの程度も質も、地元と部外者とでは大きく異なったに違いない。今でも鉄橋が余部のシンボルであることに違いはないにせよ、クルマが移動の主役となった今、はるか頭上をゆく鉄道という乗り物に、どの程度の思い入れがあるのだろうか。

  喫茶店を出て、もういちど鉄橋の足下に立ち寄る。分厚くペンキの塗られた鉄骨は、でこぼこしている。幾度となく補修が繰り返されてきたのだろう。日本海から強烈に吹き付ける潮風に堪え、輸送を支えてきたこの柱の一本一本に、90年以上の歴史の重みがある。架け替えの是非はさておき、その実物を目の当たりにして思うのは、ひとえに「これだけ大事に使われてきたものを、失うのは惜しい」ということだ。

この鉄骨が、山陰本線の運行を支えてきた 

  ついに余部を後にするときとなった。来た時と同じ、キハ41の単行列車に乗り込み、今日4度目にして最後の余部鉄橋にさしかかる。架け替えられたらどんな橋になるか分からないが、この、上空に放り出されるような特異な感覚を、再び味わう機会が果たしてあるのだろうか。

  餘部 15:23[22] → 香住 15:33 [普通 178D/気・キハ41]

 帰路はディーゼル特急で

  2駅先の香住で途中下車。餘部から鎧の重複して乗車したぶんの運賃を払っていないので、代わりにと同額(140円)の香住駅の入場券を購入した。街の雰囲気は浜坂と似通っていて、規模の割に駅前に人が少ないのも同じだった。駅から浜へと歩き、砂浜でしばし、穏やかな波の音を聞きながら静かに過ごす。余部めぐりで自分の中にこもっていた熱気が、ようやく静まってきた気がする。

香住の浜辺にて 

  香住 16:22[18] → 城崎 16:49 [普通 180D/気・キハ47]

  日本海に別れを告げ、城崎駅(注1)でもう一度下車。こちらは一転、駅前の人の往来が激しく、土産屋も賑わっている。この差は一体何なのか。「温泉」の存在が一番だろうけれど、大阪や京都から頻繁に直通の電車特急が入る城崎と、ディーゼルの特急が2,3本、細々と走るだけの香住・浜坂という格差も一因だろう。

  その「細々と走る」特急、「はまかぜ」が今回最後に乗る列車となる。家路を急ぐためというよりは、この特急の車両、キハ181系に乗ることが目的だ。国鉄時代の主力が次第に勢力を減じつつある近年、この気動車も例外ではなく、今や特急として走るのは、大阪〜香住・浜坂・鳥取を結ぶ「はまかぜ」と、山陰西端の「いそかぜ」のみとなった(注2)。そして私は、「特急」としてのこの車両に乗ったことがない。余部鉄橋と同様、可能なときに利用しておかなければ、二度と体験できなくなりかねないので、今回あえて予定に組み込んだのだった。

特急はまかぜ入線。新型車両にはない貫禄 

  夕刻の傾いた日の光を浴びて、浜坂発大阪行きの特急「はまかぜ6号」が近づいてきた。定刻よりやや遅れて、カーブを描きながら城崎のホームに入ってくる。指定席はガラガラ、自由席も、城崎出発時点で二人席に各一人分ずつ埋まる程度だった。内装は意外と明るいが、やはり国鉄時代の車両の装備である。座席背面据え付けのテーブルの黄ばみに年季を感じる。

  この181系は、まだ幹線にも非電化路線が多かった時代、そうした路線での高速化を目指して開発されたハイパワー気動車だった。しかしこの車両が活躍できるような幹線は次々に電化され、活動領域は狭められていった。待望されながら、時代の変化と共に本領発揮ができなくなっていったその末路も、余部鉄橋とどこか似ている。

  城崎 17:20[16] → 寺前 18:37[32] [特急「はまかぜ6号」 6D/気・キハ181系]

  「はまかぜ」は山陰本線内ではこまめに停車し、単線でカーブが多いので、速度がいまいち乗らない。加速時には、座席の下からエンジンのうなりが響いてくるものの、性能を十分発揮しているとは言い難い。じれったく、やや期待はずれだったが、その快適な走りを体験できただけでもよしとしよう。

  客は増え続け、和田山で満席となる。ここから「はまかぜ」は播但線に入る。B級路線となり、走りはさらに窮屈になる。それでも、生野手前の勾配区間では見せ場を作ってくれた。これが一般の気動車なら、露骨に速度を落とし、「もう降参」とばかりののろのろ運転に入ってしまうところだが、「はまかぜ」は速度が落ちない。並行する道路を走る自動車に抜かれることなく、パワフルに坂を登ってゆく。こうして峠を登りつめて、生野駅に到着したが、特急停車駅なのにすでに駅舎の照明が落ちている。寂しい光景だ。

  寺前には、定刻より5分遅れて到着した。降りたのは私ともう一人だけ。朝、慌ただしく駆け抜けたそのホームは、すでに夕闇に包まれつつあった。

 注記

  1. 城崎駅は2005年3月1日の改正にあわせて「城崎温泉」駅に改称された。

  2. 2005年3月に山陰本線の特急「いそかぜ」が廃止になり、「はまかぜ」はキハ181系を使用する最後の定期特急となった。

 トップ > 旅日記 > 旅日記04-1(2)