2.東北横断、雪の道

 

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 湊・酒田を巡る

  酒田のホームに降り立つと、「ようこそ 湊・酒田へ」という看板が出迎える。「きらきら うえつ」の車内に置かれていたパンフレットによれば、酒田は最上川の河口に広がる湊町で、江戸時代に大坂・江戸へ至る「西回り航路」が開拓されてから幕領の年貢米の輸送拠点として栄え、海上交易の要所として西の堺と並び称される都市になったという。江戸時代における米はただの食糧ではなく、経済を回すのになくてはならない通貨のようなものだったというから、米を集めて積み出す酒田の町の存在は、日本経済の鍵を握っていたといっても過言ではないだろう。

  ちなみに、「湊」という字は地名以外には今あまり目にすることがないが、船の停泊場という一般的な「港」の意味に加えて「物や人が集まる場所」という意味合いがあるらしい。酒田は単なる船着き場ではなく、交易と物流の拠点だったのだというメッセージを込めているのだろう。

「きらきら うえつ」酒田駅に到着 

  ここでは2時間程度の滞在時間があるので、街を歩いてみようと思う。ガイドマップを見れば、「本間家旧本邸」「旧鐙(あぶみ)屋」「山居(さんきょ)倉庫」といった見所が市街の南方に控えているので、そちらを目指してみる。

  駅から大通りに出て南下。街並みはいかにも昭和の地方都市という雰囲気だ。やがて「本間家旧本邸」にたどり着く。通常なら700円で入場、見学できるらしいが、年末のこの時期ゆえ門は閉ざされており、黒白のコントラストの効いた外の塀を眺めるにとどめる。

  この本間家というのは、江戸時代には日本一の大地主で、戦後の農地改革に至るまで莫大な土地を有していたという。酒田の町には失礼ながら、このような東北の地方都市に日本トップクラスの豪商がいたというのが意外だが、それほどに当時はコメの流通を押さえる者に力があったということだろう。もっとも、そのような大富豪の邸宅だった割に、規模としてはさほど大きくなく、外から見る限り豪勢な印象も受けない。本物の金持ちは質素に暮らすというから、長く続く名家であるほど目立った派手さは求めないのだろう。もちろん、門と外塀だけを見てもたたずまいには格調高さがうかがわれ、中に入るとまた違った印象を受けるのかもしれない。

本間家旧本邸の外塀 

  そこから西へ少し進んだところに「旧鐙屋」がある。酒田の有力な廻船問屋であったという「鐙屋」の屋敷で、こちらもあいにく閉まっており、外観を眺めるのみ。

酒田の史跡「旧鐙屋」 

  そして南下し、川を渡ると「山居倉庫」にたどり着く。黒い木造の倉庫群で、こちらは明治の建築だが現在でも農業倉庫として活用されているらしい。三角屋根が規則正しく立ち並ぶ様は壮観で、雪の白さとのコントラストが美しい。

酒田のシンボル 山居倉庫 

  土産物屋などを見て回っているうちに、それまでちらちらしていた程度だった雪の降りが激しくなってきた。たちまち積もりだし、慣れない雪道に足を取られる。

  山居倉庫の近くを流れる川は、下流部で酒田港につながっている。大船小舟がここを行き交ったに違いない。この水運こそが湊・酒田の繁栄の礎だったわけだ。陸路での輸送力が限られていた昔、物流の主役は船であり、おそらく酒田の豪商たちはその地位が不動だと信じて疑わなかったことだろう。それだけに鉄道という新たな大量輸送手段の台頭は、大きな衝撃だったに違いない。そしてその鉄道も、今では役目の多くを自動車に奪われた。人の営みは常に移り変わってゆくものであり、時としてその変化は非情だ。

 足早に山形横断

  酒田 14:59 → 新庄 15:48[46] [快速「最上川4号」 3134D/気・キハ110系] 

  酒田駅に戻り、鉄道の旅を再開する。ここからは酒田に繁栄をもたらした最上川を遡るかたちで山形を目指し、そこから宿泊地の仙台へと抜けて、東北を横断することになる。陸羽西線へと入る新庄行きは、その名も快速「最上川」。車両はJR東日本の誇る軽快気動車、キハ110系だ。

  まずは羽越本線を引き返す。先の「きらきら うえつ」の車内からはかすかに見えていた鳥海山や月山は、雪の降りしきる今となっては全く望めない。余目から陸羽西線に進んで行く。しばらく居眠りをしていて、気がつくともう庄内平野を脱していた。最上川を左手にちらちらと見ながら、列車は雪深い谷間を突っ走る。外はもう薄暗い。

最上川沿いを快走

  1999年末の旅行で途中下車した古口を出るとすぐに最上川を渡り、ここからは新庄に向かって谷が広がってゆく。雪を巻き上げながら快速は妥協なく突き進み、定刻から2分遅れで、奥羽本線および山形新幹線との接続駅である新庄に着く。

新庄に到着した「最上川」(右)

  新庄駅には「新幹線開業5周年」の文字。ちょうど5年前に訪れたときは山形新幹線の新庄延伸直後で、ホームに歓迎の雪だるまがあったのを思い出す。前回はここから村山まで山形新幹線「つばさ」に乗ったが、今回は新幹線と同じ線路上を走る鈍行で山形を目指す。

  新庄 16:10 → 山形 17:25[21] [普通 1444M/電・701系]

  山形行きは東北の電化路線では既におなじみ、ロングシートの701系。列車は旅情のために走っているわけではないことは百も承知だし、こちらは用もなく勝手に乗りに来ただけの人間だから何も文句を言う権利はないが、それでも、旅情を求めてわざわざ足を運んでいる側には実につまらない車両だ。足回りこそ新幹線の幅に合わせた標準軌だが、モーターを高鳴らせて走る様は他の701系となんら変わらない。

  新庄を出るとしばらく陸羽東線と併走し、やがて離れて単線を進む。あらゆるものに雪が被さる盆地の風景も、次第に闇に包まれてゆく。村山あたりからはまたも居眠り。5年前の旅行の際には村山で「つばさ」から鈍行に乗り換えて山形に向かったが、そのときもこの区間ではほとんど寝ていて、記憶がない。不思議なもので、同じ路線を旅行すると大抵、居眠りをしてしまうのも同じような場所だ。気づくとガラガラだった車内がいつのまにか混雑していた。

  山形に着く頃にはすっかり暗くなっていた。底冷えのするホームには、降ったばかりの新雪がふわりと積もっている。午前中は日本海沿岸でさえ穏やかだったのに、こうして内陸でも雪が降り出したということは、寒波が到来しているのだろうか。これまでの経験からしても年末年始の天候は変わりやすく、油断がならない。

雪の舞う山形駅ホームに、仙台行き快速 

  山形 17:44[43] → 仙台 18:58[56] [快速 3848M/電・719系]

  これより仙山線の快速で仙台を目指す。719系という電車はセミクロスシートだが、内装がチープなうえによく揺れる。既に外は闇だが、山寺を過ぎるとカーブと勾配が続き、山越え区間に入ったことが感じられる。面白山高原という面白い名前の駅が山形県最後の駅。全長5km以上に及ぶ長い仙山トンネルで奥羽山脈を越え、最初の奥新川駅は標高374m。宮城県に入ったばかりだが、ここは既に仙台市内である。

  ここからは山を駆け下り、しだいに平地へ入ってゆく。車窓風景が市街地然としてくるが、周囲には依然、真新しい雪が覆っている。仙台の辺りでこうして積雪を見られるというのは意外だ。山形から1時間余りで仙台へ。今日の列車の旅はここまでだ。夕食用に「南三陸ウニめし」を購入しておく。

仙台駅前も雪化粧 

 光のページェント

  今夜はここ仙台で宿泊を予定しており、すでに駅近くのビジネスホテルを予約している。いつもならここでそのまま就寝となるところだが、このたびはチェックインして荷物を部屋に置いた後、そのまま鍵をフロントに預けて外へ出る。

  お目当ては、この時期に仙台中心街で行われるイルミネーション「SENDAI光のページェント」だ。

  駅前通に出ると早速、街路樹に電飾が施されて乳白色の光を放っている。旅先でのイルミネーションといえば、2001年の正月に訪れた札幌の「ホワイトイルミネーション」以来で、寒々とした北国の冬に灯りをという願いはおそらく共通だろう。こちら仙台のは電球色が白色に統一され、木の幹と枝に直に電球を這わせてあるので、雪化粧した木々を表現したような演出だ。そこに本物の雪も積もっているので、さらに白さが映える。

街路樹を真っ白に飾る「光のページェント」 

  メイン通りは人の往来が盛ん。きっとこのイルミネーションを見に来ている人が多いのだろう。一方で少し脇に入れば人通りが少なくなり、頭上に光の粒が広がるこの世界を独占できる。足下に積もった雪がその灯りに照らされ、白い絨毯のように広がる。今日のこのタイミングで降りだした雪に感謝だ。

雪の降りが盛んに 

  初めのほうはそれほどでもなかったが、断続的に降る雪がだんだんと強まってきた。広場の大木には1本だけ、緑色の電飾が。クリスマスは既に終わっているが、そのツリーに見立てた風だ。周りが白い電飾ばかりなのでインパクトがある。

一本だけ緑色の電飾がアクセントに 

  降る雪の絶妙の演出に満足してホテルに戻るころには21時を回っていた。遅い夕食に、仙台駅で購入していた駅弁「ウニめし」をいただく。中身はそぼろ状のウニとかにのほぐし身、そして錦糸卵が載せられた三色弁当。ウニを前面に出したネーミングの割にはウニの存在感が薄いが、食べているうちに味わいが出てくる感じ。

仙台駅弁「南三陸ウニめし」 

  さてもう寝ようかとしていた23時ごろ、不意に地震が。テレビをつけて確認すると、宮城北部で震度3だった模様。つい2日ほど前にはインドネシア・スマトラ島沖で大地震が発生したばかりで、大勢の犠牲者が出ているといわれるがまだその全容は把握されていない。今年はまさに「災」の年だ。

 

 

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