1.レトロ気動車のお披露目

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 西を目指して


 2015年10月12日
 魚住→倉敷→水島→倉敷→尾道→呉→海田市→尾道→魚住

  Yaka「この秋に、JR西日本の乗り放題切符で出かけたいんやけど。」

  クマ子「一人で行ってらっしゃーい。」

  というわけで、今回は4年ぶりに一人での旅となる。目指す先だが、この春に金沢まで開通した北陸新幹線に会いに北陸方面に行くか、山陽方面に向かうか。北陸はタイムリーだが、日帰りでとなるといささかスケジュールに無理がある。一方山陽は手頃だが、これまで何度か秋の時期に出かけており、目新しさがない。いっそ、まだ乗ったことのない福塩線でも、とも思ったが、ダイヤを調べるとこれまた乗ることばかりに終始してしまいそうだ。ひたすら未知の領域を目指して距離稼ぎに執心した20代の頃ならいざ知らず、今となっては乗るだけの旅は疲れが先に立つ。

  そんな中調べていくと、岡山の水島臨海鉄道が、旅行予定の10月12日(体育の日)に鉄道の日イベントとして旧型気動車の運転を行うという。近年、多くの鉄道会社が10月14日の「鉄道の日」前後に様々なイベントを催している。水島臨海鉄道というと、2002年秋にキハ20が運転されているのにたまたま出くわして、倉敷市〜浦田間で乗車したことがある。当時は水島に数両在籍していたキハ20だが、現在では一線を退き、1両だけがイベント用に残っているという。その貴重な車両に会えるというのが決め手となり、目指すは山陽方面に決定した。

  魚住 5:55 → 姫路 6:21 [普通 943M/電・223系]

  魚住から、今回の旅をスタートする。ひとまずの目的地は水島臨海鉄道の接続する倉敷だ。手にしているのはおなじみの「鉄道の日記念 JR西日本一日乗り放題きっぷ」だが、改札口に人がいなかったので、とりあえず日付なしで播州赤穂行きの列車に乗り込む。薄明るくなってきた空を見る限り、天気は今のところ悪くない。

  新幹線の高架が南に沿ってきて市川を渡る。ここに来春「東姫路」駅が開業する予定で、すでにホームの基礎ができつつある。その予定地を通過すると、まもなく姫路だ。ここで改札の駅員に頼んで、切符に10月12日の日付印を押してもらう。

  日が昇り、電車の後ろ側の顔を明るく照らす。乗ってきた播州赤穂行きの向かいには、次に乗る岡山行きが控えている。今や山陽を席巻する黄色一色の電車が、朝日を浴びてさらに黄色く輝いている。JR西日本が国鉄世代車両の単色化を発表した当時、山陽エリアの濃黄色という選択には、工事車両じゃあるまいし、なんとセンスのない色選びかと嘆いたものだ。今では山陽の大半の車両が黄色くなってしまったようだが、こうして実物を見ると意外と悪くない気もする。単に慣れの問題なのかもしれないが。

JR世代と国鉄世代の出会う姫路駅 

  姫路 6:35 → 岡山 8:01 [普通 1303M/電・115系]

  岡山行きの電車は休日の朝ともあってガラガラで、7両編成を持て余している。車内はリニューアルされていて座席は転換クロスシートが装備され、JR世代の新型とも遜色ないが、いかんせん箱や足回りは国鉄時代製なので、ガクンガクンと堅い揺れを伴うのは致し方ない。

  相生で赤穂線と分かれ、山陽本線は北西側に針路を取る。千種(ちくさ)川の流れる盆地に黄金の稲田が広がり、青空とのコントラストが美しい。この天気が続いてくれれば良いのだが。

さわやかな秋の青空 

  千種川を渡り、兵庫県最後の駅上郡へ。223系などの近畿圏の車両はここまでしか入らず、この先は黄色い電車の独壇場だ。県境の船坂峠にさしかかり、山の裾に張り付くように進む列車は右へ左へと向きを変える。時折正面に来る朝日がまぶしい。登り詰めた峠のトンネルが兵庫から岡山への境となり、中国地方へと移ってゆく。

船坂峠に挑む 

  岡山県最初の駅が三石。谷間の鄙びた町に立つ煉瓦工場の煙突が印象的だ。ここから下ってゆき、平野部へと移ってゆく。和気から万富にかけて、しばらく吉井川が北側に沿う。そうした変化があるものの、全体的に単調な風景の中、列車は岡山を目指す。

景色を映す吉井川 

  岡山 8:20 → 庭瀬 8:27 [普通 1823M/電・115系]

  岡山から伯備線備中高梁行きの電車に乗り込む。今ではほとんど黄色一辺倒の115系だが、細かい部分にはいろいろと差異があるのが趣味的には面白いところで、今度の電車は4両編成のうち中間の2両が117系から組み込まれた3500番台となっている。両端2両が3ドアなのに中間2両は2ドアという変わり種。

  この電車に乗っていれば倉敷に着くが、あえて途中の庭瀬で下車する。次の便はこの電車が出てからわずか3分後に来るが、ダイヤの乱れがなければ、その間に上りの特急「やくも」が庭瀬を通過するはず。果たして、倉敷側から「やくも」が現れたのでカメラを向ける。が、なぜかピンぼけの写真になってしまった。ダイヤの計算はしてやったりだっただけに悔しいが、万事思惑通りにとはなかなかいかないものだ。

  庭瀬 8:31 → 倉敷 8:40 [普通 000M/電・115系]

  次の下り電車は三原行きの4両編成で、今度は4両とも2ドア。この編成は115系の3000番台とよばれるもので、広島エリアからの乗り入れ車両だ。顔かたちこそ115系だが、構造や内装は117系に近い。唯一、デビュー当時から転換クロスシートだった115系で、なかなか新車の入らなかった広島エリアにおける良心ともいえる存在だった。しかしこちらも今や黄色一色となり、しかも先頭車の行き先表示は真っ白。なぜだか理由は判らないが、広島支社の115系電車は先頭部の幕を使わないのが伝統になっている。約10分で倉敷に着。

 臨海鉄道のレトロ気動車

  JR倉敷駅は駅ビル併設の立派な橋上駅だ。その駅を出てデッキから地平へ下り、西へ少し歩いたところに水島臨海鉄道の倉敷市駅がある。立体駐輪場の1階に間借りしたような構造の駅だ。JRのホーム側から見ると、水島臨海鉄道の列車が檻に入れられたような姿に見える。

  さて、今日は前述のキハ20のほか、JR東日本から移籍してきたキハ30,38も運転されることになっており、それらをうまく網羅するには何度か乗り降りする必要がある。水島臨海鉄道側もよく考えたもので、この日のために線内のフリーきっぷ(800円)を用意しているという。その発売が9時からということになっているが、駅前に来てみて驚いた。駅舎に向けて長蛇の列がすでにできている。

倉敷市駅に向けて行列が 

  さすがに今や全国でも希少な車両の走るイベントだけに、人の多さに感心するが、一方、もしやお目当ての切符が買えないのでは、という不安もよぎる。その場合は普通に乗車区間の運賃を払いながら乗るしかない。そうそう何往復もしないので大きく損をするわけではないが、客が多い中で都度精算をするのはいちいち面倒だし、そもそも何のためのこの列に並んだのかという話になる。

  結局、予定の午前9時より少し前に列が動き出した。決して広いとはいえない駅に行列が吸い込まれてゆく。小さな待合室の中でも列が蛇行し、フリーきっぷの売り場へ、さらにはグッズの売り場へと連なる。かり出せる社員総出という風だが、これも恒例行事なのか、割と上手に捌いている。

  なんとか買うことのできたフリーきっぷには「No.108」とある。販売枚数は150と告知されていたので、並ぶのが遅ければ買えたかどうか危ういところだった。その切符がペラペラのビニールケースにひもを通した、手作り感満載のネックストラップに入っている。簡素ではあるが、乗降の度に切符を出し入れする手間を思えば、首にかけておけるのはありがたい。このあたりも、いち地方鉄道ながらイベント慣れしてるなと感じるところだ。また切符と一緒にスタンプの押せる台紙も付いている。当のスタンプも待合室の中に置いてあるが、それを押すためにまた並ぶ羽目になる。クリアファイルやポストカードなどのグッズも販売しているが、経験上買うと荷物が増えてしまいあとの処理にも困るので、申し訳ないが購入しない。

  倉敷市 9:20 → 水島 9:44 [水島臨海鉄道 普通/気・MRT300形]

  さて、お目当てのキハ20は今日4往復する予定になっており、最初の便は9:47に水島本線の旅客区間の終点である三菱自工前を出発する。倉敷市発9:00の三菱自工前行き列車に乗れれば水島本線乗り通しを果たし、キハ20にも始発から乗ることができたのだが、フリーきっぷを購入してからでは物理的に間に合わないというちぐはぐな設定(三菱自工前は小さな駅なので、混雑を避けるためあえてそうしたのかもしれない)。結局9:20発の水島行きに乗り、水島でキハ20の列車をキャッチすることになる。

  この列車は水島臨海鉄道の標準気動車であるMRT300形単行のワンマン列車。自分と同様、フリーきっぷを携えて乗り込んだ人たちで混雑している。しばらく山陽本線と併走し、JRからの分岐線がこちらに合流する。その名の通り水島臨海工業地帯への貨物輸送をメインとするこの鉄道には、JR貨物が主な株主として出資している。これから乗るキハ20やキハ30,38は旧国鉄やJRから譲り受けた車両であり、かつてJR赤穂線開通40周年に際しては、JRが水島のキハ203を借りて国鉄塗装に塗り替え、記念列車として運転したこともある。そのキハ203が国鉄色のまま水島に返却され、13年前の鉄道の日に私が乗ったものだ。JRとは何かと関わりの深い鉄道であり、ならば倉敷市駅もJR倉敷駅と一体にすれば便利なのにと思うが、そうもいかない諸事情があるのだろう。

  山陽本線と分かれて球場前。倉敷で球場と言えば、プロ野球も開催される倉敷マスカットスタジアムが有名だが、その最寄りはここではなく、倉敷駅からJRで岡山方面へひと駅先の中庄。球場前駅の前にあるのは、それよりずっと昔からある市営球場だ。その球場の外側を、列車は回り込んで行く。

  ここからは築堤に登り、その後地平に。民家や田畑の間を進み、浦田へ。この先は初めて乗る区間となる。浦田を過ぎると列車は近代的な高架線に登って行く。次の弥生で対向列車と行き違う。こちらと同じMRT300形のワンマン列車だ。

高架線をゆくMRT300 

  引き続き高架線を進み、終点水島に到着。この先線路は二股に分かれ、左は東水島貨物駅に向かう貨物線、右が三菱自工前を経て倉敷貨物ターミナルへ向かう水島本線。その向こうにはコンクリート製の工場や煙突が立ち並ぶ無機質な臨海工業地帯が広がる。

  間もなく右側の線路から、古びた姿ながら愛嬌のある顔立ちの気動車が近づいてくる。先の列車でホームに到着した大勢の客が一斉に注目する。これが今や水島臨海鉄道のキハ20形として唯一現存する、キハ205だ。先頭に鉄道の日記念の大きなヘッドマークを掲げている。

キハ20のお出まし 

  かつて国鉄ローカルのどこでも見られたキハ20系の顔。今やJRからは絶滅し、全国でも現役で残るのは3両だけになった。この水島臨海鉄道のほかには茨城のひたちなか海浜鉄道に1両在籍するが、これはかつて水島から移籍したもので、奇しくも今は同じ「キハ205」を名乗っている。あとは千葉のいすみ鉄道がJR大糸線で活躍していたキハ52を観光用に保有している。西日本では唯一、お客を乗せて走るキハ20とあって、注目度は抜群。国鉄スタイルを彷彿させる朱色とクリーム色のツートンカラーだが、これまでJRのリバイバルで見たのと比べると全体に色が少し薄いのと、窓上部の塗り分けのラインが少し上に寄っている気がする。

  水島 9:51 → 球場前 10:13[10] [水島臨海鉄道 普通/気・キハ20]

  満員の乗客を乗せて、キハ20の単行は倉敷市に向けて出発した。臨時列車ではなく通常のダイヤに乗せて走っているので一般の乗客もおり、ちょっと気の毒だ(注1)。今ではもうなかなか聞けない旧式エンジンの音。エンジンのゴロンゴロンというアイドル音にゴゴゴ…と底から響く低音が加わり、加速に伴ってさらにそこにフォーンというちょっと高い音が重なる。あまり速度を上げないうちに加速をやめて惰性走行に移り、列車は終始緩慢なペースで高架線を進む。駅ごとにホームでカメラを向ける人たちが数多い。弥生から地平へ下ると、沿線にも撮影者たちの姿が。

  車内には「2015鉄道の日記念 レトロ車両に乗ろう」と書かれた吊り広告がかかり、「乗ろう」と訴えられるまでもなく今現に乗っているキハ205の写真が載っている。使われている文字は、弊サイトでも一部使用させていただいている「国鉄っぽいフォント」だと思われる。

キハ205車内の吊り広告 

  さて今後の予定としては、この列車の折り返し便で浦田まで行き、浦田からキハ30・38の列車で倉敷市に戻ることにしている。ということで終点倉敷市まで乗り通してそのまま折り返しても良いのだが、ここはあえて一つ手前の球場前で下車する。このキハ20の写真を綺麗に撮りたいと思ったからだ。倉敷市駅のホームは立体駐輪場の下に収まり、暗くてまともな写真は撮れない。一方球場前駅だと、倉敷市側へ出てすぐの所に鉄橋がかかっていて、列車の去り際をとらえれば良い写真が撮れそうだ。というわけで列車を降り、すぐに鉄橋側に向かう。

  位置取りは先に通ったときにある程度確認している。向きはやや逆光になるが仕方ない。鉄橋を渡り、築堤を進んで行くキハ20を連続で撮影する。少し先の踏切近くには、ざっと10人ほどの撮影者が所狭しとひしめいている。あちらからなら順光になるが、さすがにそこまで行く時間はないし、そこに入り込む度胸もない。

大勢の撮影者に迎えられるキハ205 

  球場前 10:24 → 浦田 10:34[32] [水島臨海鉄道 普通/気・キハ20]

  10分ほどで、同じキハ20が水島行きとなって引き返してきた。浦田までの8分ほどが最後の乗車機会で、次乗れるチャンスがあるかどうかも分からないので、運転席の後ろに立って車内をよく観察しておく。壁面のプレートには「日本車輌會社 昭和35年」とある。既に製造から55年だ。天井の扇風機には「JNR(国鉄)」のロゴ。シールを貼ったりせず、堂々と出自を明かしているのが潔い。アナログな機器が並ぶ運転台からは、水島最後の生き残りとなった古参気動車の息づかいが伝わってくるかのようだ。

キハ20の運転台 

  浦田には2分遅れの到着。13年前に今なきキハ203を降りたと同じ駅で、キハ205を後にする。(注2

  浦田 10:41 → 倉敷市 10:54 [水島臨海鉄道 普通/気・キハ30・38]

  数分後、キハ20が去った線路をキハ30と38の2両編成がやってきた。こちらは数年前まで千葉のJR久留里線で走っていたもので、この2両は水島に来る際にこれまた国鉄塗装になっている。

  昔、都市近郊にも非電化区間が多かった時代に気動車の通勤車両として開発されたキハ35系のうち、両運転台の車両がキハ30。両開きの3ドアや車内のロングシートがいかにもという風だが、先のキハ20と比べてのっぺりとした顔で、あまり愛嬌はない。特徴的なのは、乗降扉が戸袋に収まるのではなく、倉庫か何かの扉のように外に出っ張っていて、上部のレールから吊り下げられたような構造になっている点だ。車体重量の制限の中で、ドアの面積を拡大しつつ車体の強度を確保するための苦肉の策だったらしい。

キハ30の外吊りドア 

  キハ38はキハ35の車体を更新したもので、キハ30のような側面の凹凸はない。もともとは国鉄末期に流行ったパンダ顔だったが、それを国鉄風塗装に変えたことで、前面窓周りの黒塗りだった部分の凹みだけが残って、ちょっと不自然な顔つきだ。このほかに久留里線からはキハ37形が3両譲渡されているが、今日は午後からの運転で、残念ながらお目にかかれない。

  キハ30,37,38は久留里線を最後にJR路線から姿を消し、現役車はこの水島でしか見られない。今やイベントでしか出てこないキハ20と違って、平日のラッシュ時にはレギュラーで走っているので、乗ろうと思えばいつでも乗れる車両ではあるが(注3)、滅多に来ることのできない当方にとっては、いずれにせよ希少価値の高い存在である。車内はロングシートで更新を受けており、意外と垢抜けている。2両編成という余裕もあって、このたびは一般の乗客も含めて普通に座っている。ファン的な懐古趣味を脇に置けば、キハ20がこれら(相変わらず中古車ではあるが)に置き換わったことはサービスの向上になったのではないかと思う。

キハ38の車内 

  倉敷市に到着。駅構内から朝の熱気は去り、今はイベントも一段落ついている。待合室にはキハ205の顔出し看板(運転席部分に顔を出せる)が設置されている。連れ合いがいるならともかく、さすがに一人で誰かに撮ってもらうのは気が引ける。

  先に述べたとおり、この駅は列車の撮影には不向きなので、最後に折り返し出発するキハ38+30の列車を撮影すべく、駅の西側に急ぐ。駅を出た2両は加速しながらゆっくりと目の前を通過していった。

キハ38+30が倉敷市駅を出る 

 坂の町尾道

  倉敷 11:07 → 尾道 12:09 [普通 1719M/電・115系]

  今後だが、山陽本線を西進して三原から呉線の観光列車「瀬戸内マリンビュー」に乗ることにしており、指定席も確保している。その手前の尾道で途中下車して少し町を歩いてみようと思う。

  糸崎行きの普通で倉敷を後にする。車内はリニューアルされた転換クロスシート車だ。田園地帯が広がり、列車は駅間を結構な速度で進む。景色は単調だが、北側の稲田の向こうには新幹線の姿も。

稲田の向こうをゆく新幹線 

  笠岡駅付近で一瞬、瀬戸内海の入り江に近づく。山陽本線で海の見える区間は意外と少なく、起点の神戸側から辿ると須磨〜朝霧あたりからここまで海に面する場所はない。せっかく出会った海もすぐに通り過ぎ、軽く山越えをして岡山県から広島県へ移って行く。

  新幹線と在来線が二重構造になっている福山駅で、乗客の多くが入れ替わる。広島県には大きな平野がなくて山と海が近い。流れ出す川が小さな平地を造り、そこにひしめくように市街地が形成されている。山陽新幹線はそんな町々を直線的に結ぶため、ほとんどがトンネル区間だ。

  さて、今回はスマートフォンに速度計測アプリを入れ、時折列車のスピードを測っている。おそらくGPSの機能を使って測定しているのだろう。列車に乗っていると今どれくらいの速度が出ているのかと気になることがあるが、運転台の速度計を見ない限りは判らない。しかし世の中便利なもので、今では携帯ひとつでそれが判ってしまうのだ。もっともこの数字は目安に過ぎないし、トンネルに入ってしまうと測れない。それでも数字で速度が見られることで、旅の楽しみがひとつ増える。直線主体の平坦な区間だと100km/h前後まで出ている。ちなみに、船坂峠越えの区間では70-80km/h程度だった。

携帯アプリで速度計測 

  朝には快晴で、倉敷でもそこそこ良かった天気が、いつしか崩れだして空には暗雲立ちこめてきた。山陽本線は海に近づき、立ち並ぶ倉庫群にそびえる巨大クレーンと、港湾都市の様相を呈してくる。向かいには読んで字の如く向島が横たわり、さながら大きな運河のような目の前の海は尾道水道と呼ばれる。頭上を尾道大橋と、しまなみ海道の新尾道大橋がまたいでゆく。今年の2月にクマ子との愛媛ドライブで渡った橋だ。

しまなみ海道・新尾道大橋をくぐる 

  間もなく尾道に着く。駅の正面が船着き場、背後には山がそびえる。滞在時間は40分ほどで、大した移動はできないので、とりあえずこの背後の山に登って尾道水道を一望してみようと思う。

  駅北側の改札口から出て、路地裏のようなところから登って行く。麓から見るからにきつそうな斜面だったが、足を踏み入れてその険しさを実感。幅1メートルあるかないかの細道が、斜面に張り付くように立つ家々の間を縫って上へ上へと続いている。階段ばかりのこの道が生活道路にもなっているのだ。さすがに「坂の町」と呼ばれるだけある。尾道は海に近いためか、猫が多い町でもあるそうだ。歩いていればどこかで猫との出会いもあるかもしれない。

路地裏の階段を上へ上へ 

  登るにつれて市街地と尾道水道の展望が開けてきた。道は複雑だが、時間が限られているので迷うわけにはいかない。ある程度下調べはしているが、そのとおり行けるとも限らない。実はこの山には山頂近くに「尾道城」があり、麓からよく見える。とりあえずこの建物を目指して行けば間違いない。

  この「尾道城」なのだが、近づいて下から見ると妙な建物だとわかる。天守閣が石垣の土台の上に立っているのではなく、「天守閣のような何か」がコンクリート製の高い塔の上に生えているような形状で、なんだかアニメか何かに出てくる安っぽい要塞メカのようだ。さらに近づくと、入り口(であった部分)には赤いU字型のゲートに「全国城の博物館 尾道城」とある。すでに閉鎖されて久しいようで、ゲートの両側に、だれが書いたか「S」と「N」の落書き。そういえば子どもの頃、そんな磁石で遊んだな。

歴史的価値の何もない「尾道城」 

  現存する天守閣つきのお城というのは大半が復元建築なのだが、この尾道城は復元どころか、もともと城もなかったところに単に観光目的で建てたものらしく、そのうえあっさり閉鎖されてしまって、屋根のシャチホコも片方しかない。こんな廃墟に町のシンボルのような顔をされて、尾道市民はどう思っているのだろうか。

  それはさておき、この山から見渡す尾道の景色は、ここまで急ぎ登ってきた価値があるものだ。尾道水道に面して、山と海との狭い場所に張り付くように広がる尾道の市街地。その居住エリアは山の裾まで広がっている。対岸の向島には倉庫や船のドックらしいものが立ち並ぶ。まさに海と、港と共に生きてきた人々の街。東に架かる大橋と、駅前の港から発着する連絡船が、尾道と向島をつなぐ生命線となっている。

尾道市街を望む 

  時間がないので、感慨もそこそこに山を下りて行く。やはり民家に挟まれた路地を往路とは別ルートで下り、商店街方面へ。昭和の空気漂うアーケード街だが、そんな雰囲気をあえて残しているのだろう。祭日のため日の丸が揚がり、それなりの人通りがある。

尾道の商店街 

  結局尾道での道中、猫に会うことは一度もなかった。

 注記

  注記の内容は2017年3月現在。

  1. 翌2016年の鉄道の日イベントでは、フリーきっぷ購入者だけが乗車できる臨時列車として運転された。

  2. キハ205は2017年3月をもって引退。水島臨海鉄道から現役のキハ20は全廃となった。

  3. 土休日は終日MRT300形によるワンマン運転となるので、通常キハ30.37.38の出番はない。

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