国鉄時代

  1964年、東海道新幹線東京〜新大阪間が開業。日本の鉄道の歴史的な一歩となったこの瞬間は、のちに「0系」と呼び習わされる新幹線車両デビューの瞬間でもあった。博多まで達したのは1975年のことである。

  82年の東北新幹線開業、85年の100系登場まで、「新幹線すなわち0系」であり、丸みを帯びた流線形は、日本国鉄の看板的存在であった。世に出たその総数は3,000を超え、日本の大動脈を絶えず行き来してきた。

  下の写真は、新神戸駅を通過する「ひかり」だったと思われる。柵で仕切られているとはいえ、すぐ目の前を轟然と走り抜ける新幹線の姿は、子供心に忘れ得ぬインパクトを与えるものだった。

  日常的に見られた新神戸駅での通過シーンだったが、やがて同駅に停まる列車が増えてゆき、2003年以降は営業運転で列車が通過することはなくなった。

 ウエストひかり塗装時代

  100系登場後も、東海道・山陽の主力を担い続けた0系だったが、1992年に「のぞみ」用300系がデビュー、その後は「ひかり」の愛称ともども、脇に転じてゆくことになる。特にダイヤが過密状態にあり、速度と輸送力の底上げが求められた東海道区間では淘汰が急がれ、1999年をもって0系は撤退となった。

  新大阪以西では、6両(のちに4両も)の短編成化されて「こだま」に充てられたほか、リニューアルによって12両編成の「ウエストひかり」としても活躍を続けた。塗装は100系に準じ、側面の青帯に白線が入った。

  2000年、700系「レールスター」に置き換えられて「ウエストひかり」は任を終え、ここに「ひかり」としての0系の歴史は事実上幕を下ろした。

  「ウエストひかり」は、普通車の座席を2列+2列のゆとりある配置にしたのが特徴だったが、それは「レールスター」の指定席、および西日本のこだまにも引き継がれている。

  「ウエストひかり」に使用されていた車両は、「こだま」用に組み替えられて引き続き使用された。6両編成となったが、依然ひかり時代の名残をとどめるものだった。

  2003年、100系も東海道から撤退して短編成化され、山陽こだま専用となった。この時、それら「こだま」用の0系・100系は大きな変化を経験することになる。

 グレー塗装時代

  2003年、西日本の0系・100系は、伝統の白と青のツートンカラーを捨て、グレー基調の配色に変更された。これは、山陽こだますべての2+2列シート化に合わせたイメージチェンジで、「レールスター」や500系のぞみの塗色を踏襲したと思われる。

  「こだま」化された0系・100系には、食堂車・ビュフェはもちろん、グリーン車もなくなり、普通座席車両ばかりの編成となったが、0系には一部、もとビュフェ部をフリースペースとした編成もあった。なお、100系の4連化により、0系の4連はいちはやく姿を消している。

  99年の東海道撤退の時点で、山陽区間でもあと5年ほど、といわれた0系だったが、最新型N700系が投入された2007年の時点でも、依然「こだま」として活躍を続けていた。しかしついに、2008年11月末での定期運転終了が発表され、それに先立つ08年春の改正では、かなり本数を減らすこととなった。このため撮影の機会が限定され、近畿圏では実質、朝の時間帯の3本しか狙えなくなった。

  そして、後述の理由で、グレーの0系は年末を待たずして、08年6月をもって姿を消すことになった。

 復元塗装

  2008年2月、JR西日本は、0系のうち最後まで残る3編成を、白・青塗装に変更すると発表した。すでにモノクラス6両編成しか残っておらず、かつての勇姿からはほど遠いものの、塗色に関しては国鉄時代に近いかたちで有終の美を飾らせようという、粋な計らいであった。

  4月、そのうちの1編成が登場。近畿における初お目見えとなった4月19日、西明石駅にて。

  ウエストひかり時代にあった、側面の大きなJRマークもなく、極力国鉄時代にあわせた塗装。6月までに3編成が出そろい、代わりにグレー編成が廃車となって、すべてが旧塗色の列車となった。

 車内の様子

  最終形態における内装は、リニューアル等の改造を経て、0系のオリジナルからはかなり様子が変わっている。しかし、その名残は随所に見ることができる。

  客室内。もともと座席は3列+2列だったので、通路扉の位置が(写真では右に)偏っているが、座席を2+2に変更しているので、扉が通路のセンターと合っていない。扉の左側の電光掲示板は、100系からのお下がりだとのことで、いかにも後付けっぽく出っ張っている。

  通路扉上部。差し込み式の「3号車 自由席」の札にアナログ感が。

  座席にはゆとりがあり、(混雑しないせいもあって)落ち着いて乗っていられる。

  デッキの雰囲気には、「昭和」の色が濃い。新幹線の風物詩の1つだった「冷水器」は、衛生上の理由などから撤去されてしまった。

  かつてビュフェだった部分を、フリースペースとしていた車両もあった。

  売店跡。これも、コンビニやキヨスク等で手軽にものが手に入る時勢にあって、役目を終えた遺構といえるだろう。

  デッキのくずもの入れ。矢印の「この下にあります」に何となく愛嬌を感じる。

  車内の公衆電話。売られているテレホンカードは500系のデザイン。0系にすれば記念品として売れるだろうに・・と思ったり。

  デッキの壁に張られたポスター。撮影場所は浜名湖か?(だとすれば、JR西日本はよくそのままにしているなと思う。) 文字通り「色あせた栄光」。

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