車両紹介 3000系

 

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  記事中の「F」は「編成(Formation)」を指し、当サイトではその編成の三田・粟生側先頭車の番号で表記しています。

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 3000系

  3000系は1973年(昭和48年)登場。91年まで18年近くの長期間にわたって計9編成が製造され、2000系・5000系登場までは神鉄車両の「顔」的存在でした。

  アルミ製車体、4両固定編成、3扉で製造当初から冷房を備えるという、神戸電鉄としては「初」づくし。3000系以外で当初から3扉冷房車となったのは、1979年登場の1350形が最初。73年以降に製造された1150系1320形は3扉だったものの登場時は非冷房でした。3000系は神戸電鉄にとってまさにフラッグシップ車両、急成長の象徴的存在だったのです。

3000系第一編成   

  フラットな前面に大きな2枚窓、白銀のボディにオレンジの帯を巻いていた旧塗装時代には、だれがつけたか「ウルトラマン」という愛称も。前面方向幕は当初、細い丸ゴシック体の縦長の文字でしたが、行き先表示は当時から黒地白抜きでした。また側面表示器は1つの窓の中で種別と行き先が分かれて動くタイプでしたが、1000系列に採用された一体式の幕と共通のものに変更されています。

旧塗装時代の3000系 

  現在では1000系列と同様のデザインの赤ラインになっていますが、ベースはアルミ色のまま。多年にわたって増備されたため、前期車と後期車で仕様に若干の違いが生じています。特に、8年のブランクの後に製造された第七編成3013F(1989年製)以降は、登場時から新塗装・乗務員扉横にKマーク設置・側面表示器が種別/行き先に分かれた2窓式(以後の2000,5000,6000系もこのスタイルを踏襲)になるなど、それ以前の同系列とは外見上の雰囲気が若干変わりました。

外見が従来より若干変わった3013F 

  92年以降は新製される車両が2000,5000系に移行し、3000系の影は薄くなりましたが、なお有馬・三田線の主力の一端を担ってきました。

  一方、長らく3両編成限定だった粟生線志染〜粟生間には入ることなく、新開地〜志染間の列車も5両編成が主力だったので、粟生線で3000系の姿を見ることは比較的まれでした。しかし2000年に粟生線志染以西の4連直通化計画が公表された後、その前段階として新開地〜志染間列車の原則4両編成化がなされ、同区間にも3000系の入ることが多くなりました。そして2001年6月23日に粟生線4連直通化が実施され、3000系は登場28年目にして初めて志染以西に乗り入れることになりました。現在では新開地〜粟生間直通列車にもごく日常的に3000系が入っています。

01.6改正翌日、美嚢川を渡る3000系 

  2002年夏からは、4両編成車両には初めてのこととしてワンマン化工事が施された車両が登場し、現在では全車両の工事が完了しています。運転席側ワイパー大型化、ドア上部センサー設置などの改造がみられます。なお、3006車だけは、先頭の地金部分が白色に塗装されています。

顔の白さが目立つ3006 

  神鉄近代化の象徴的な存在だった3000系ですが、2014年に第一編成3001Fが引退。デビューから40年を経て初の廃車が発生しました。

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