車両紹介

 103系電車

  2001年7月1日の電化以降、通勤形電車103系が運用に就いていました。ブルーの6両編成で、方向幕は黒地の「兵庫⇔和田岬」。モーター音をうならせ、直線区間を疾走します。なお、朝の運用が終われば一旦兵庫→大久保→網干総合車両所明石支所へと回送され、夕方に逆コースで和田岬線に戻るため、兵庫〜西明石間では103系の回送が列車線を豪快に走り抜ける姿を見ることが出来ました。

  電化直後に2度訪れた時は、いずれも後述の207系が入っていたため、私が「和田岬線を走る103系」を初めて見たのは、電化から1年半後のことでした。


発車を待つ夕方の電車
2008.5.29 和田岬

西明石から出庫し、大久保で折り返す回送列車 

  青色の103系は阪和線系統でも長らく見ることができましたが、2018年に全面撤退となったことから、このカラーの103系が営業運転するのは和田岬線が最後となりました。2023年3月18日をもって運行を終了。

 201系、207系電車

  網干総合車両所明石支所には103系が1編成しか配属されていなかったので、検査や故障で使えないときは、207系が和田岬線に入っていました。207系は電化後何度か入線していますが、その第一号が、奇しくも私が電化後の和田岬線を初めて利用した2001年8月4日のことでした。


2001年8月4日、和田岬駅にて。207系の3両編成で行き先表示はない

  207系が代走するときには、3+3の6両編成、もしくは3両となります。行き先表示のLEDや車内の案内LEDは使用されず、「普通」のみの表示。

  また、ブルーの201系が神戸線に配属されていた時代には、代走に起用されることもありました。和田岬線を走るときには、通常の7両編成から1両抜いた6両となりました。


201系6連による代走。こちらもやはり、行き先無しの「普通」表示
2004.4.12

  2023年3月19日に、103系に代わって207系が定期運用に就くようになりました。代走の際は3両+3両を併結した6両編成でしたが、この度は6両に固定された編成が専用に組成され、「兵庫」「和田岬」の行き先表示もされるようになりました。

 キハ35気動車

  1990年10月より、それまでの旧型客車に代わって、キハ35が和田岬線の輸送にあたるようになりました。座席の大半を撤去した客車を、ディーゼル機関車がプッシュプルで牽引し、「トンボ返り」にかけて「トンボ列車」ともいわれていました。



客車列車として運転された最後の日の様子
90.9.30 兵庫
(自由中の水色ジャージ様提供、禁転載)

  もともと通勤形気動車として、都市近郊に残る非電化区間で活躍していたキハ35でしたが、近郊路線の電化が進むにつれ働きの場をなくしてゆき、いつしか和田岬線が最後の働きの場となっていました。

  和田岬線のキハ35は、水色に紺帯という臨海線らしい独自の塗装で、動力車のキハ35と動力を持たないキサハ35の2両が一組となり、平日はそれを3つつなげた6両、土休日は2両編成で走っていました。大混雑する通勤輸送に専属する車両として、定員を増やすためにロングシートの座席のうち一部が取り払われていました。また、兵庫、和田岬の両駅とも同じ方(和田岬行列車からみれば進行方向右側)にホームがあるため、その反対側(進行方向左側)は3つの扉のうち2つがふさがれていました。非冷房で夏場は熱気がこもり、動力も最小限に省かれていたため非常に鈍重な走りでした。

  最後にはさよならヘッドマークが掲げられ、2001年7月1日の電化開業で103系電車にバトンを渡して現役を退きました。これをもってキハ35はJRから形式消滅となりました。


電化直前の和田岬線で、最後の働きを見せていたキハ35
01.6.10 和田岬

 

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