首都圏や近畿圏などで主力を担った量産型通勤電車
勢力を減じつつ、今も働き続ける
登場:1963年
在籍:

  記載内容は2023年3月現在。
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 国鉄の象徴

  103系は、通勤タイプ電車のスタンダードとして、実に合計約3,500両が製造されました。

  私の幼少期、近畿圏では私鉄各社がそれぞれのサービスでしのぎを削っており、高いレベルでの競合がなされていました。対して当時の国鉄はといえば、時代遅れ・非合理性のシンボルのような扱いで、特に都市内輸送においては完全に私鉄に水をあけられていました。

  京阪神などで通勤輸送にあたっていた103系は、子供心につまらない電車でした。いかにも鉄板にペンキを塗ったという風の一色塗りの車両、騒々しくよく揺れる走り、あかぬけないデザイン。関西の私鉄各社が競って快適な車両を並べ立てていただけに、その格差は歴然としており、国鉄の前近代ぶりを象徴づける存在でした。

  どこへ行っても同じ顔、路線別の1色塗りというスタイルには、画一的で手抜きという印象を受けたものですが、よけいな小細工より輸送力、デザインより分かりやすさと、ある意味で機能性に徹した車両であったとも言えましょう。


神戸線の各駅停車として走っていたブルーの103系
1989 垂水

 各地の103系

  権勢を誇った103系も、国鉄末期以降は新世代の台頭を受けて追われる立場になりました。それでも大所帯の強みか、特にJR西日本エリアでは活動領域はむしろ広まってゆきました。

 JR西日本

  関西都市圏では、京都線・神戸線・福知山線(宝塚線)のほか、大阪環状線・桜島線(ゆめ咲線)阪和線関西線(大和路線)・奈良線などで運用されました。関西線・阪和線では「快速」として走るシーンも日常的に見られました。


阪和線の水色車両。初期の一灯ライトの名残が
2009.12.9 天王寺

  また、2008年に放出〜久宝寺間が開業したおおさか東線では、大和路線と共用の103系・201系が運用され、最新路線に国鉄車両が走るというミスマッチぶりが見られました。


おおさか東線で区間運転される103系(左)と201系
2009.1.5 久宝寺

  京阪神と福知山線からは比較的早くに撤退したものの、2010年代前半まで大阪都市圏で当たり前のように走っていた103系ですが、2016年度から大阪環状線の車両は新形式の323系に置き換えられました。その他の路線でも、225系などの増備により直接または玉突き的に置き換えが進められて、姿を消してゆきました。


オレンジ色の大阪環状線電車
2002.3.21 天王寺


USJラッピング車両
2008.1.2 大阪

  こうした本線系に加えて、阪和線羽衣支線(鳳〜東羽衣間)山陽線和田岬線(兵庫〜和田岬間)でも運用されました。羽衣線の車両は2018年に225系4両編成に置き換えられました。


3両編成のワンマン運転
2003.5.4 東羽衣

  和田岬線では2001年の電化以後、103系の6両編成が運用されました。水色の103系が最後まで残ったものの、2023年3月改正で207系に置き換えられました。2両単位に短縮された後述の加古川線・播但線用を例外とすれば、朝夕ラッシュ時限定ながら都市部で通勤形らしい活躍を続けたのは、本州ではこの和田岬線が最後でした。


和田岬線で朝夕の通勤輸送にあたる
2010.2.17 兵庫

  また広島近郊でも使用され、呉線の快速「安芸路ライナー」として走ることも。この地区の115系と同じく、クリーム地に青帯の「瀬戸内色」をまといましたが、JR西日本管内の車両単色化に伴い濃黄色一色に移行。2015年3月の改正で227系が導入されたことに伴い、広島エリアから撤退しました。

広島地区の瀬戸内色 

  JR西日本は車両の置き換えが一気に進められず、103系のような国鉄世代車を長く使わねばならない状況だったので、延命のための工事が施されてきました。一時は、大幅な延命と、居住性を新型車に近い水準に引き上げる目的で、大がかりなリニューアル改造(体質改善工事)が積極的に行なわれました。ベンチレーター(屋根上のなべぶた状の換気装置)の撤去、雨樋の出っ張りをなくすことや窓サッシの交換などにより古ぼけた印象が薄れ、内装もリフレッシュして新型車に近いものとなりました。

リニューアル車の編成 

  播但線(姫路〜寺前間)や加古川線の電化に際しては、体質改善・ワンマン化改造された103系が配属されています。これらの車両は2両単位となり、2両または4両編成で運転されます。(詳細は、「西兵庫の鉄道」の各項をご覧下さい。)→播但線 / 加古川線

播但線のワンマン電車 

加古川線のは先頭が貫通タイプに 

  2022年3月改正で奈良線、2023年3月改正で和田岬線での運用を終えたことで、JR西日本で103系の運用が残るのは兵庫県内の2線(加古川線・播但線)だけになりました。

 JR東日本

  103系発祥の地である関東。国鉄民営化の折にはJR東日本にも大量の103系が継承され、首都圏で広く運用されました。しかし209系やE231系などへの置き換えが急ピッチで進められました。JR世代車両の省エネぶりを引き立たせるために、103系は(旧世代の代表として)何かと引き合いに出される存在であり、勢力は年々縮小。ついに、2006年春までに、東日本の103系はほぼ消滅に至りました。

  東日本管内では首都圏のほかに、東北の仙石線でも103系が活躍を続けました。独特の爽やかな塗装で、快速「うみかぜ」にも使われましたが、山手線から移って来た205系で置き換えられました。仙石線の工事に伴って必要とされた予備車として1編成が残り、これがJR東日本最後の103系となりましたが、その役目を終えた2009年に引退。これをもって東日本エリアから103系が全廃されました。

4両編成で、仙石線に使用された103系 

 JR東海

  JR東海にも103系が引き継がれ、中央西線などで運行されましたが、1999年に運用を終了。103系を引き継いだJR4社の中では最初に全廃となりました。

 JR九州

  JR九州では、1983年の筑肥線姪浜〜唐津間・唐津線唐津〜西唐津間の電化の際に103系が導入されました。福岡市地下鉄との乗り入れを前提とし、九州内では唯一の直流電化となったためで、これが103系の最終形態となりました。前面の形状は105系タイプの貫通パンダ顔となり、塗装もJR九州ならではの原色多用なので、他社の103系とはイメージが大きく異なっています。

他社と一線を画する九州の103系 

  2015年3月から305系への置き換えが始まり、地下鉄線への乗り入れはなくなりました。

 

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