昭和39年の東海道新幹線開業以来
長年親しまれてきた、丸鼻の元祖新幹線
登場:1964年/運用終了:2008年
在籍:

  記載内容は2011年5月現在。
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  →特別編「ゼロの終章」

 夢の超特急

  山陽新幹線が博多まで全通したのは1975年3月。言うまでもなく、当時の新幹線といえば「0系」が唯一無二の存在であり、その0系新幹線が「世界最速」の地位に堂々と君臨していた時代でした。1982年に東北新幹線に200系、そして1985年に東海道・山陽に100系がデビューするまで、0系はまさに新幹線そのものであり、日本の戦後の技術の象徴、粋を集めた結晶ともいうべき存在でした。私の幼少期とは、まだそのような時代でした。

  1981年にフランスTGVがスピード世界一に躍り出、20年以上座りつづけたトップの座から陥落してしまったとはいえ、もちろん子供心に「新幹線0系」の魅力があせることなどありませんでした。

  私が新幹線を見ることのできた機会といえば、両親の実家のあった九州への帰省のときくらいのもので、そのことがまた「夢」をかきたてていました。乗車駅である新神戸は両側がトンネルで、新幹線が近づいてくるとその中が明るくなってきます。その明るさがしだいに増し、そしてついに、例の丸鼻のお出ましとなります。この瞬間がどれほど感激だったことか。

  新神戸には通過線がないため、ホームに柵が設けられ、通常は扉が閉まっています。列車が通過する際には、轟音を立ててすぐ目の前を走り抜ける姿に恐怖を覚えたものでした。現在では、すべての列車が新神戸に停車するので、そのスリルを味わうことはできません。

ひかり号到着。0系が16両編成で活躍していた時代だった 

 世界一の栄光から静かな余生へ

  0系が20年にわたり3000両以上作られたというのは、国鉄のこの車両に対する絶対の自信の表れだったのでしょう。(変化を拒む国鉄のお家事情もあったようですが。)とはいえやはり、そんな0系にも来るべき転機は訪れ、1985年の100系登場以降は後進に道を譲ることとなりました。

  1992年、300系「のぞみ」がデビュー。0系とほぼイコールの存在であった「ひかり」の愛称が二番手に格下げになるとともに、最高220km/hの0系はしだいに‘足手まとい’な存在となってゆきました。新大阪以東のJR東海区間では淘汰が急がれ、最終的にはこだま限定使用となりましたが、99年9月18日、発祥の地・東海道を去るときが来ました。

  最終列車は東京発名古屋行きの「こだま473号」。例の丸鼻の部分には「長い間のご利用ありがとうございました」という文字が入り、大勢のファンの見送りを受けながら去って行ったとのことです。

  一方新大阪以西のJR西日本区間では、100系と似たデザインとなり、12両編成の「ウエストひかり」として走るなど、東海区間と比べて息の長い活躍を続けていました。しかし2000年春に「ひかり」の運用が700系「レールスター」に置き換えられ、それ以降は山陽新幹線区間内の「こだま」が、0系最後のとりでとなりました。

「ウエストひかり」の任を終え、山陽末端で「こだま」として余生を送ることに 

  0系こだまはすべて6両のミニ編成でグリーン車はなく、かつての堂々たる16両編成からすれば寂しい限り。往年の世界チャンピオンも、500系・700系「のぞみ」に道を譲りながら余生を過ごす日々に。

  0系・100系こだまにはリニューアルが施され、座席を2+2の4列化、塗装も500系や「レールスター」にあわせたグレー基調のカラーリングに移行。2005年2月までに、白ベースの車両は定期運転から姿を消しました。航空機などと競合を強いられている山陽新幹線だけに、独自のイメージ作り、またJR東海車との差別化をねらったものかと推測しますが、0系には最後まで、「超特急ひかり」の姿のままで、務めを全うさせてほしかった気もしたものです。

青・白の伝統的配色は消滅へ 

グレー調の塗装に移行 

 引退の時

  2007年7月、新型N700系が東海道・山陽新幹線にデビュー。N700系によって「のぞみ」の運用を追われる500系が、2008年以降8両化され、山陽「こだま」に転用されることになり、それをもって0系が置き換えられることになりました。東海道撤退時に「あと5年ほど」と言われつつ、先延ばしになっていた0系引退のXデーがついに「2008年11月」と決まりました。

  下の写真は、0系こだまとN700系のぞみの貴重なツーショット。N700の増備は間接的に0系に引導を渡すことでもあり、この「元祖」と「最新鋭」の顔合わせが営業運転の中で見られたのも、新幹線の歴史のうちではごく一瞬のことでした。

来る者、去る者。最新N700系との顔合わせ 

  全廃に先立ち、08年6月以降に残る3編成については、デビュー当初の青・白塗装に戻されることになりました。(それ以外の編成は6月までに廃車。)4月以降に登場し、注目を集める存在に。全盛期からすればすっかり数が少なく、編成も短くなってしまいましたが、44年の歴史を積み上げてきた0系新幹線の締めくくりは、やはり伝統のカラーリングで迎えることになりました。

国鉄スタイルのデザインに戻された 

  JR西日本は、全廃に向けてキャンペーンを打ち、国鉄塗装の0系は注目の的となりました。「こだま」としての定期運転の最終日は11月30日。その後「ひかり」としてお別れ運転をし、大勢の人に見送られつつ、12月14日をもって現役を退きました。

引退の花道、「ひかり」としての運転 

  歴史的価値の高い車両だけに各地で保存されており、JR関連では東日本(鉄道博物館)、東海(リニア・鉄道館)、西日本(交通科学博物館)、四国(四国鉄道文化館)がそれぞれ保存展示しています。また、最後の営業列車となった12月14日の「ひかり347号」として博多に到着したR61編成の先頭車は、製造元の川崎重工業兵庫工場社屋前に、181系特急電車とともに保存・展示されています。

引退列車、生まれ故郷に帰る 

 0系写真集

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伝統的スタイルの
方向幕
客室の様子
座席 通路
洗面台 売店スペース
営業を終えて
久しいビュフェ
<おまけ>
私のコレクション

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