JR化後の新幹線高速化の流れを決定づけた
最高速度270km/h、初代「のぞみ」用車両
登場:1992年/運用終了:2012年
在籍:

  記載内容は2012年3月現在。
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 東海道・山陽新幹線の転換点

  国鉄時代、0系から100系へと受け継がれてきた東海道・山陽新幹線の系譜ですが、JR化後の1992年、その流れを刷新する新型車両が登場しました。それまで「超特急」の代名詞であった「ひかり」の上を行く、「のぞみ」号用の車両。それが300系でした。

  300系は、まさに新幹線スピードアップの申し子として誕生しました。最高速度は100系の230km/hから270km/hに大幅アップ、東京〜新大阪間が2時間半で結ばれるようになりました。

  「のぞみ」は当初、東京〜新大阪間に早朝・深夜の2往復のみ。翌年には博多までの1時間ヘッドの運転となりましたが、最初の1年間は無難な時間帯に限定して運行したことからして、当初は試験的意味合いが強かったのでしょう。「270km/h」という速度が、当時いかに高いハードルだったがうかがわれます。なお、「のぞみ」デビュー当初、新幹線史上初めて名古屋・京都を通過する列車が設定され、中京の人々のひんしゅくを買ったというエピソードもあるそうです。

  この高速化を実現するため、300系には様々な工夫が凝らされました。車体は、100系までの鋼製から、アルミ合金製に改められ、軽量化が図られました。重心を低くし、車体断面を小さくするため、どっしりとした扁平な形状となりました。

  また、外見上の変化として、先頭車は鉄仮面のようなスタイルに。0系からの先のとがったスタイルから一新されましたが、300系より後に登場した500系は0系,100系のイメージに近い円筒型、700系以降のグループはカモノハシ形となったため、新幹線の系譜の中では300系は異端ともいえます。また、車体側面の青い帯は、100系までは窓周りを覆っていましたが、300系以降では窓の下だけにラインが引かれています(500系は窓周りが濃紺、窓下に青いラインの独特なデザイン)。

他の新幹線と比べるとのっぺりした先頭部 

  その後300系は東海道・山陽新幹線の新たなスタンダードとして量産され、最終的に1000両を超える大所帯になりました。0系・100系を置き換えつつ、「ひかり」にも投入されるようになり、全体のスピードアップに貢献しました。97年に最高300km/hの500系に東海道・山陽最速車両の座を譲りましたが、500系の増備は限定的であったため、引き続き主力は300系が担い続けました。一時は東京〜博多間の「のぞみ」の半数と、東京〜新大阪間の「のぞみ」を300系が占めていました。

  1999年に、新たなスタンダード車両として700系がデビューし、その増備されるにつれて300系は「ひかり」「こだま」中心の運用に移ってゆきました。2003年には東海道区間の列車は300系以降の車両で占められるようになりました。

岡山乗り入れ「ひかり」は、名古屋〜岡山間では各駅停車(08.3まで) 

  先代の100系が2階建て車両や個室グリーン車など、バブル的な豪華さを目指したのに対し、300系が追求したのはあくまで、航空機の向こうを張る「高速輸送手段」としての新幹線の姿だったと思われます。山陽新幹線全通以降100系までの標準装備であった食堂車は当初から設けられず、車内は座席車のみ。時代の要求に沿った改変だったとはいえ、見方によっては実に面白味のない設備となってしまいました。

  その方針は「のぞみ」用700系にも踏襲されていますが、これはビジネスユース主体の東海道新幹線を抱え、輸送力と効率を重視するJR東海サイドの意向が強く働いていると思われます。同じ700系を「ひかり(レールスター)」として使用し、編成は短く、座席にもゆとりを持たせて居住性を重視したJR西日本とは温度差があります。いずれにせよ、300系が新幹線の姿に大きな転換をもたらした車両であることは疑えません。

  私が実際に300系に乗車したのは1度だけで、しかも混雑した中での立ち席だったので、居住性についてはあまりコメントできませんが、一般に評判は良くないようです。初めて270km/hという未知の領域に挑んだことと、量産化が急がれたという事情を差し引いて考えなければなりませんが、私にとってこの300系という車両は、先駆者としての功績は評価するにしても、今ひとつ魅力的とは思えない存在でした。

  2007年以降、700系の後継にあたるN700系が増備されたことで300系の置き換えが進み、2011年春の改正時点で300系は「ひかり」「こだま」の一部、および東海道区間の臨時「のぞみ」の一部に使用される程度になりました。700系が登場した1999年からわずか十年余りで、東海区間の車両は完全に代替わりを果たすことになりました。

山陽区間に顔を出す機会も減少 

  300系は2012年3月の改正をもって約20年の活躍に幕を下ろしました。3月16日にJR東海が東京〜新大阪間、JR西日本が新大阪〜博多間に記念列車を走らせ、それをもって運用を終了。同じ改正で「先代」の100系も引退し、国鉄とJRの変わり目を挟んだ2世代が同時に姿を消しました。

 

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