一時代を築いた急行形ディーゼル車
国鉄時代には気動車最大勢力を誇り、JR化後も全国で活躍した
登場:1961年/運用終了:2011年
在籍:

  記載内容は2014年10月現在。
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  特別編「急行の残照・キハ58系」はこちら

 栄光の時代から地方のエースへ

  「キハ58系」は一般に、以下の車両を総称したものでした。

  クリーム色と赤のツートンカラーで全国を駆けめぐったキハ58一族。1960年代の8年間になんと1,800両以上が製造されたといいます。私の生まれる前の時代ですが、当時はまだSLが残存し、幹線にも非電化路線が多かった時代。客車列車がのんびり走っていた中に登場したこの新戦力は、まさに近代化の象徴ともいえるものだったことでしょう。急行用の貫禄で、デッキつき、オールクロスシート。中長距離輸送にも堪えうる(現在の基準からすれば苦しいものですが)装備をもちました。

  もっとも、動力的には旧式であり、決してパワーに恵まれていたわけではありません。このため特に山岳路線ではハンデが大きく、また冷房化のための出力アップと電源確保が必要とされ、その目的でキハ65が導入されました。キハ65は12系客車に近い内外装で、普通座席車のみでした。

  「急行形」といっても運用を厳密に区別されていたわけではなく、間合い運用や急行の末端区間などでは、普通列車としても頻繁に使用されていました。また、キハ40系やキハ20系などと日常的に混成編成を組んでいました。

  国鉄時代の急行は併結運転が日常茶飯事で、70年代の時刻表を見れば列車がせわしくくっついたり離れたりしていたことがうかがえますが、編成の構成に融通の利くキハ58系気動車は、そのような運用にも向いていました。明らかに実用的とは思えないおかしな動きをする列車もありましたが、時刻表を辿る上では面白い存在です。

国鉄時代の急行「たかやま」。大阪から遠路、飛騨路を目指す 

  国鉄末期になると、新幹線の拡張、幹線急行の特急格上げ、また地方路線の衰退に伴って、全国に張り巡らされた「急行」のネットワークは解体されてゆきました。さらには、電化が地方幹線にも進むに及んで、キハ58系の活躍の場は非電化区間のローカル運用中心に移ってゆきました。

  それでも同系列は依然気動車の最大勢力であり、JR発足のころも、全国各地で主力を担っていました。その汎用性の高さと、陳腐化したとはいえ「優等列車」なりのクオリティを有していたことが、JR化後もながらく「地方のエース」として君臨した要因でしょう。

 最後の活躍

  国鉄時代のキハ58系は、全国どこへ行っても変わりばえのしないカラーリングでしたが、民営化前ごろから地方ごとにイメージチェンジ戦略が図られ、多彩な塗装パターンが登場しました。キハ58系は活動領域が広かったぶんだけ、デザインの多種多様さも他に類をみないものとなりました。また、あまりに猫も杓子も塗り替えられたために、もとのデザインが「国鉄カラー」として、懐古趣味的にかえって珍重されるという皮肉な現象も。

  以下に、その一部を挙げます。

JR初期の肥薩線急行「えびの」。2000年廃止 

装いを一新された「たかやま」車。1999年に特急「ひだ」に格上げ 

飯山線の独自塗装車 

  一部の車両は、ジョイフルトレインや特急車両への改造を受けました。JR初期の、まだおいそれと新車が投入できなかった時期、汎用性の高いこの車両は改造の種車として重宝されたのでしょう。前面パノラマ化や窓の大型化など、原型から外観が大きく変わったものもあります。また、JR東日本や東海ではエンジンの換装が行なわれました。

香椎線向け「アクアエクスプレス」(右)。晩年は急行「くまがわ」に使われた 

キハ65から改造され、特急「エーデル鳥取」用に 

  このほか、JR各社に広く乗り入れられることから、臨時・団体輸送要員としても活躍。一方でローカル輸送に特化するため、ワンマン対応化やセミクロス・ロングシート化された車両もありました。

  JR世代の新型気動車の台頭に及んで世代交代の波にさらされ、ついに最大勢力の座をキハ40系列に譲りました。もとの本職であった「急行」自体が衰退し、老朽化や陳腐化も手伝って、改造車も より性能の高い新車に置き換えられてゆきました。それでも、私が青春18きっぷを使って旅行を繰り返していた90年代後半には、まだ地方路線を中心に、キハ58系が幅広く活躍を続けていました。その古めかしいながらも落ち着いた走りは、(日常的に利用する方々の印象はともかく)最も「鉄道旅をしている」という実感を味わわせてくれるものであり、私が頻繁に鈍行旅行をしていた時代にそれを堪能できたのは、幸いでした。

  しかし2000年代に入ると、いよいよキハ58系撤退の報があちこちから聞かれるようになりました。東北・四国・九州で国鉄急行色への復元がなされ、各地でリバイバル運転が行われましたが、こうした動きはいずれも、近づく引退へのはなむけとも言えるものでした。そして、昔の車両に使われていたアスベスト(石綿)問題の表面化が、旧式車淘汰の流れを決定づける格好となりました。

  かつての最大所帯の栄光は見る影もなく、2000年代後半にもなると、わずかな車両が予備的に配置され、細々と働くのみとなりました。

高速化までは山陰にも多数在籍していた 

 各地のキハ58系

  ここでは、2000年代に入ってからの動きを、各社ごとにまとめます。

 JR東日本

  東北路線に残存していた車両は、エンジンがパワーアップされ、走りにはゆとりがありました。花輪線、山田線、石巻線などのほか、仙台〜気仙沼間の快速「南三陸」にも使用されてきましたが、キハ110系への置き換えが進み、運用を失いました。

快速「南三陸」 

車内の様子 

花輪線にて。同線では2007年まで活躍した 

快速「八幡平」。国鉄カラー 

  東日本エリアで最後まで残ったのは新潟エリアで、キハ52とともに米坂線などで運用されていました。しかしいずれも新型車E120系に置き換えられて、2009年3月改正で運用離脱。定期で走るキハ58系・52形は消滅しました。

 JR西日本

  急行「みよし」(広島〜三次)がキハ58系列最後の「急行」でしたが、2007年6月末の快速化とともに引退。これをもって「急行」としてのキハ58系は終焉を迎えました。

額に「急行」の文字を掲げて走る最後の列車となった「みよし」 

  かつては岡山〜津山間の急行「つやま」にも使用されており、半室グリーン車(キロハ28)が連結されていました。国鉄時代には、急行にもグリーン車が標準的に連結されていたものですが、2003年に「つやま」がキハ40系に置き換えになった時点で、58系のグリーン車は全廃となりました。

  北近畿・山陰地方では、ながらくキハ58系が主力を担い、電化前の京都口の急行などとしても活躍していました。最終的には、鳥取〜米子間の快速「とっとりライナー」として、急行を彷彿させる力走を披露していましたが、2003年の同区間の高速化事業に伴い、新型車(キハ121/126形)に置き換えられました。

国鉄急行色のキハ58系で運転されていた「とっとりライナー」 

  元「みよし」車のうち1編成2両は、急行色に塗り替えられて岡山に転じ、因美線で春・秋に運転される「みまさかスローライフ列車」など、イベント用に使用されました。こちらも2010年11月、「スローライフ列車」として走った後にお別れ運転をして、引退。その後は、大糸線で活躍したキハ52や、近い時期に引退となったキハ181系などとともに、津山の扇形車庫で保存されています。

キハ58系としては最終年の「みまさかスローライフ列車」 

  最終的には富山に2両×2編成が配属(うち1編成は急行色)、高山本線越中八尾〜富山間にて朝晩限定で運転され、これが全国でも唯一の定期運用となりました。2011年3月11日をもってこの運用も終了し、ついに定期で走るキハ58系は完全に姿を消しました。

  なお、最後まで残った車両のうちの1両だったキハ28 2346はその後、千葉のいすみ鉄道に移籍。高山本線時代の高岡色から国鉄急行色に戻された上で譲渡され、同じくJR西日本から移ったキハ52 125と組んで2013年から観光急行として運行されています。この車両は一時期千葉に在籍した経歴があり、改造車を除けばこの車両が現在日本で唯一運用されているキハ58系です。

  また、「エーデル」用に改造されたキハ65が、臨時・団体列車用に残存しましたが、2010年までに全廃されています。

元「エーデル鳥取」用車による臨時快速「あまるべロマン」。余部鉄橋上をゆく 

 JR四国

  かつて「気動車王国」と言われた四国では、58系が広く活躍していましたが、こちらもしだいに勢力を縮小し、2008年10月に定期運用を終えることになりました。2008年3月改正までは、松山〜高松間という長距離を走り抜く列車や、阿波池田〜高松間に上り1本だけ、快速「サンポート」として運転されるものがありましたが、改正以降は予讃線・土讃線に計5本の普通列車が残るのみとなっていました。

  一部車両はリバイバルのために国鉄急行カラーに塗り変わり、最終段階でその1編成が残りました。08年10月をもって定期運転を終了。11月にかけて、四国の各線で「急行」としてリバイバル運転をしたのち、引退。

四国のキハ58系 予讃線内では快速「サンポート」として 

キハ58の車内 

キハ65+58の国鉄カラー 

  ちなみにこの国鉄色編成は、JR四国のキハ58系として最後まで残った編成ですが、2007年4-5月には、このシーズンに初めて運行された「みまさかスローライフ列車」として走行するため、西日本に貸し出された経歴があります。

 JR九州

  九州でも、数多くのキハ58系が活躍していましたが、2004年に急行「くまがわ」が特急化されたのを最後に急行運用から外れました。(同時に九州から「急行」が消滅しました。)通常の定期列車として最後まで残ったのは鹿児島・宮崎県内の日豊線・肥薩線などの区間でした。後述の車両を除き、予備用に残ったものも2009年までにすべて廃車されました。

JR九州スタイルの塗装。肥薩線をゆく 

  九州で最後まで残ったのは、観光列車として活用された車両でした。大分〜由布院間の「トロッコ列車」 および南由布〜由布院間の「トロQ列車」は、貨車改造のトロッコ3両を、キハ58とキハ65が挟んでの運転。塗色は久大線特急「ゆふいんの森」に似たダークグリーン。(ちなみに、現在も活躍している初代「ゆふいんの森」(キハ71系)は、車体は更新されているものの、足回りはキハ58・65を流用したものです。)

  「トロQ」は車両の老朽化に伴い2009年11月に引退。気動車2両は国鉄急行色に戻されたうえで、ツアー向けの「復活急行」として、九州各地で2010年8月までリバイバル運転されました。

「トロQ」用のキハ65 

  2006年7月、豊肥本線(熊本〜宮地間)に、「あそ1962」が登場。同区間には、前年夏まで「SLあそBOY号」が運転されていましたが、牽引SLが故障したため(のちに再整備されて「SL人吉号」として復帰)、その代替として、リニューアルされたキハ58系が投入されました。使用車両(キハ58)の製造年にちなんだ愛称で、昭和30年代をイメージしたというレトロ風の内装。かつて急行「火の山」として阿蘇の山越えに挑んだ58系が、かたちを変えてカムバックした格好です。SLのアクシデントのためとはいえ、車齢40年を過ぎてひっそりと消えるはずだった同車が、その‘古さ’を買われて再起の場を与えられたわけです。

チョコレート色にお色直しされた、観光列車「あそ1962」 

  「あそ1962」も2010年12月限りで引退、これをもって九州からもキハ58系は一線を退きました。

 

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