直流・交流、昼行・夜行兼用車両として
かつては広く活躍した「高度成長期の申し子」
登場:1968年 運用終了:2017年
在籍:

  記載内容は2017年4月現在。
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 栄枯盛衰

  1967年に、初の「昼夜兼用」の電車として581系が登場。その翌年、直流・交流50Hz/60Hzの「3電気方式」に対応した583系がデビューしました。昼は座席車、夜は寝台車として使用するという画期的な発想でした。

  1970年代前半がその絶頂期で、北は青森、南は鹿児島まで足を延ばし、製造数は400両以上を数えました。とはいえ、電化区間のほとんどを走れる性能を持ちながら、実際に使用された路線は比較的限られており、相対的なグレードの低下と夜行列車削減の流れの中で、急速に衰退してゆきました。

  1983年からは普通列車用に改造されるものも現れ、583系の用途はほとんどが波動用(臨時列車要員)となりました。

  夜行としては関西〜九州間、その間合として北陸・九州の昼行特急、それと東北・常磐系の夜行・昼行特急に使用されたようです。はるか昔(1980年代前半)九州出身の親の帰省時に一度、鹿児島本線の特急「有明」でこの電車に乗った記憶があるので、その時代にはまだ九州特急として走っていたようです。

臨時「雷鳥」として使われた時代も。右は客車時代の急行「ちくま」 

  使用路線が限定されたのは、昼行と夜行のかけもちという特殊性に加えて、寝台の扱いやメンテナンスに難しさがあって、現場から敬遠されたという事情もあったようで、組織と現場がチグハグだった国鉄体質の一端がかいま見えます。いつでもどこでも走れるという、一見「万能選手」に見えたその特色も、時たつうちにその万能ぶりがかえって活動範囲をせばめ、使い勝手の悪い中途半端な存在になっていった感があります。

  普通列車用に改造された九州・東北の715系と北陸の419系は、いかにも急ごしらえの奇妙な電車で、国鉄末期の悲惨な財政の証でした。もとよりこれらは「つなぎ」の色合いが強く、九州・東北では早々に全廃され、419系も新製521系により置き換えられて、ついに2011年に引退しました。

 「きたぐに」の旅

  大阪〜新潟間の夜行急行「きたぐに」には1985年から583系が使用され、1993年以降は583系を使用する唯一の定期列車となりました。夜行限定なので寝台と座席の変換を行なう事はありませんでしたが、A寝台・B寝台・座席車・グリーン車と多彩な車両を組み込めたのは「万能選手」の名残と言えるでしょう。

JR初期までは国鉄塗装だった583系「きたぐに」 

その後水色主体の塗装となった 

  北陸・信州向けの旅行に際しては何度かお世話になった列車ですが、そのときの様子を以下に記します。

  大阪23:23発の急行「きたぐに」は、23時を少しまわったころ、11番線(一番北側のホーム)に入ってきます。幅と高さをめいっぱい取った車体が10両連なる姿には、迫力があります。

  後ろ4両(1〜4号車)は座席の自由席、かつての「昼の顔」です。客室に入ってまず、天井の異様な高さに違和感を覚えます。座席はボックス席。さすがに特急型でゆったりとしてはいますが、向かい合わせで固定式ときては、現在の基準からはいかにも古臭い感じがします。

  5,8,9,10号車はB寝台ですが、この寝台が特徴的。3段式で通路の両側にそびえる感じ。座席の1ボックスが寝台の1区画となるのです。そのためベッドの幅は広く(下段で106cm。客車B寝台だと70cm)ゆったりとしています。ただし高さは76cmしかなく(客車2段式だと111cm)、頭上は圧迫感があります。なお上中段は幅70cm、高さ68cmとのことで、これはかなり窮屈そう。料金は1,000円ほど安いが、遠慮したい。

  なお6号車はグリーン車、7号車はA寝台です。

  出発し、新大阪を過ぎるとひとしきり案内放送がかかります。さすがに走りは静かで安定していますが、それでも一昔前の電車、底の方から細かい振動がぴりぴりと響いてきて、やや気になります。デッキに出ると、うって変わって走行音が騒々しい。壁1枚がこれほど音を防いでいるとは。

  東海道本線を東進して、米原から北陸線に入ります。東海道・北陸・信越と、「きたぐに」が走るのはすべてよく整備された高規格路線で、乗り心地は良好。控えめなペースで淡々と進んでゆきます。夜明けの早い時期なら富山県内から、遅い時期なら直江津あたりから明るくなり、立山連峰、親不知海岸、東頸城丘陵の山々などを見て長岡・新潟方面へ至ります。新潟県内では朝の1番列車としての利用も多かったようです。

再度の塗装変更を受けた西日本の583系。「きたぐに」最終形態 

座席状態の車内の様子 

 働き者の晩年

  座席でも寝台でも使え、3電気方式に対応していたため、長距離の臨時・団体列車用に残しておくには都合がよく、ながらくJR東日本・西日本とも数編成を保有し、更新工事を施しながら使用してきました。

スキー列車「シュプール号」 

  しかし、583系定番の活躍の場だった大阪〜北陸方面のスキー列車「シュプール号」は、2005年度を最後に運行を打ち切られました。そしてついに2012年3月改正をもって、「きたぐに」も定期運転を終了。7両編成に短縮されたうえで臨時列車として運行されたものの、1年経たずして完全に廃止され、JR西日本の583系の歴史に終止符が打たれました。

  最終的にはJR東日本に6両編成1本が残るのみとなり、臨時列車などを中心に最後の活躍を続けていましたが、2017年4月8日の運転をもって引退。国鉄民営化30年の節目に、国鉄世代の代表格のひとつがまた姿を消しました。

  583系という電車は、ある意味で高度成長の象徴的な存在でした。夜は3段ベッドに人を押し込み、昼は昼でボックス席に人を積み込んでフル回転で輸送にあたった日々。世の中にものが十分そろい、質やゆとりといったものが追求される時代に変化した時点で、この車両は本来の役目を終えたと言えるでしょう。583系より30年ぶりに登場した寝台電車「サンライズエクスプレス」の285系は、個室寝台と「ノビノビ座席」(カーペット敷きの「床座席」)を特徴とする車両になりました。奇しくも583系と入れ替わる形で、583系を保有した2社(JR東日本、西日本)から豪華クルージングトレイン「TRAN SUITE 四季島」「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」がデビューします。

 

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