直流急行形電車として広く活躍し
晩年は地方ローカルや臨時列車用に転じた
登場:1963年/運用終了:2003年
在籍:

  記載内容は2015年5月現在。
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 ミスター急行

  私が生まれるより10年以上前にデビューしたこの電車ですが、社会人以前には関西から東側に出る機会のなかった私にとっては、長らく縁遠い存在でした。乗車経験といえば高校生のとき、家族で南紀白浜へ旅行した際に紀勢線で利用したくらいです。

  もともと急行用として広く活躍していたという165系列ですが、「急行」そのものの衰退につれ地方路線の普通列車や臨時列車要員としての出番が主体になり、JR化後は世代交代が進んでその規模も年々縮小。標準形の165系のほか、修学旅行用の167系、碓氷峠越え対応の169系の区別がありましたが、外見に大差はありません。急行形の最終形となったのは直流専用の165系列と交・直流両用の455系列で、車両の設備は同等でしたが、基本的な塗色は165系列が湘南色、455系列は小豆色とクリーム色で明確に区別されていました。

  私は、急行としてバリバリ活躍していた時代をじかに知らず(「急行」としての165系に乗った事さえない)、全盛期の同系列については語れませんが、この列車には、幼い私があこがれた古き良き「列車」の雰囲気が、そのまま残っているような気がしました。ごつさと柔和さをあわせもつ車体、向かい合わせの紺のシート、ややガタピシした走り(これは古さのせいか)・・・。かつて「大衆の優等列車」だった「急行」とは、こんなものだったのだろう、と。私にとってこの列車は、「ミスター急行」でした。

165系最後の急行「赤倉」 

 「優等列車」の威厳

  97年10月に特急化によって姿を消した急行「赤倉」を最後に、優等列車としての務めを終えた165系でしたが、その後も元急行形らしい活躍を続けた列車がありました。新宿〜新潟〜村上間を走る夜行快速「ムーンライトえちご」です。

  座席はグリーン車並みの、傾斜の深いリクライニングシートに換えられており、全車指定(新宿〜新潟間)で落ち着いて乗れる。それでいて特別料金なし(指定席料金510円だけ)で乗れるとあって、特に「青春18きっぷ」シーズンともなると大人気列車で、私も毎年恒例・年末年始の「雪見旅」のときには、毎回のようにお世話になりました。

ヘッドマークつきの夜行快速「ムーンライトえちご」 

車内の様子 

  「えちご」以外の私の165系列乗車経験を挙げてゆくと・・・

96年1月、東海道線(東京→熱海):
  いわゆる「大垣夜行」の折り返しで、早朝に東京を出て静岡へ向かう普通列車。急行「東海」にも使われる車両でした。96年春、「東海」の特急(373系)格上げに伴い「大垣夜行」も快速「ムーンライトながら」となり373系化。

96年12月、篠ノ井線(松本→岡谷) 快速「みすず」:
  リクライニングシートをあてがわれた169系。これは中央東線〜飯田線の急行「天竜」を格下げしたものでした。「みすず」は1998年に115系に置き換えられ(現在では211系)、2015年時点ではわずか1往復になって停車駅も増え、急行の名残は薄くなっています。

飯田線にも乗り入れていた169系快速「みすず」 

97年10月、紀勢線(新大阪→新宮→和歌山):
  当時運転されていた新大阪発新宮行きの夜行鈍行に乗車。そこから紀勢線を引き返して和歌山まで乗車。太平洋を見ながらどことなく緩い走りでの旅でした。

片道だけ運転されていた新宮行き夜行列車 

97年12月ほか、中央西線(中津川〜松本):
  木曽ローカルで特急に道を譲りながら進む。99年には新型車313系に置き換えられました。

木曽路を任される存在だった 

97年12月、大糸線(信濃大町→南小谷):
  「みすず」用169系と同様、さわやかな「信州カラー」をまとう165系でした。

01年1月、東海道線(名古屋→岐阜):
  多客期に夜行快速「ムーンライトながら」を補完する、いわゆる「臨時大垣夜行」。167系のトップナンバー車。急行時代の姿を彷彿させる湘南色8両の堂々たる編成でした。

「臨時大垣夜行」の167系 

02年3月、紀勢線(和歌山→南部→和歌山):
  定期運転としては最後のとりでだった紀勢線からの撤退直前に、惜別乗車。

特急「くろしお」との並び 

  96〜97年に利用が集中していますが、このころは甲信エリアを中心に、まだ165系列が主力を担っていた時代でした。しかしその後2年ほどの間に、JR東日本・東海とも一気に淘汰を進めてゆきました。東海の車両は1999年に定期運用を終えています。

  オリジナルスタイルの165系が最後まで定期で使用されたのは、JR西日本の紀勢線エリアでした。その規模も縮小の一途で、上記の「紀州夜行」も、99年秋以降紀伊田辺より先が週末運転の臨時列車に格下げ、その臨時運転も2000年9月をもって打ち切りとなりました。そして、2002年春をもって紀勢線から165系撤退、廃車へ。

  2002年3月30日。紀勢線から退いた同車が、リバイバル急行「鷲羽」として新大阪〜宇野間を往復。30年前、先輩格の153系が駆け抜けていた区間を1日限り任された165系も、これが事実上のラストラン。姫路駅に入ってきた「鷲羽」は、赤い「急行」の文字も誇らしげに、満員の客を乗せたまま、夕日を背に浴びて去って行きました。

西の165系最後の花道となった、臨時急行「鷲羽」 

  紀勢線でのラスト乗車、および急行「鷲羽」の様子は、特別編「惜別・紀州の165系」にまとめています。

  最後のとりでとなった東日本の165系も、引退が決まった02年秋以降各地でリバイバル運転されました。「ムーンライトえちご」は2003年3月末をもって485系に置き換えとなり、ついに165系列の定期運転が終了。その後も新潟エリアなどで臨時運転されましたが、同年9月末をもって完全に引退しました。私の旅の歴史の中で、東向きの旅行を繰り返していた時期がその晩年と重なり、印象深い車両の一つでしたが、残念ながら過去の存在となってしまいました。

  なお一部は富士急行やしなの鉄道などに譲渡され、活躍を続けました。しなの鉄道の169系は一時国鉄時代の塗装となり、リバイバル運転にも使用されましたが、2013年に引退。坂城駅で湘南色の3両編成が保存されています。富士急行の車両も置き換えが予定されており、これをもって165系列は完全に姿を消すことになります。

しなの鉄道で活躍を続けた169系。長野まで乗り入れていた 

 

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