交直流両用の急行電車として活躍したが
ローカル用に転じ南東北、北陸、南九州で余生を送った
登場:1964年/運用終了:2015年
在籍:

  記載内容は2020年3月現在。
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 冷遇された元急行車両

  かつて交・直流両用の急行車両として、東北・北陸・九州方面への列車として活躍。50Hz用として451,453,455系、60Hz用として471,473,475系、そして両対応の457系と細かい区分がありましたが、ここでは一括して扱います。

  設備上は直流専用の165系と同等ですが、あずき色とクリーム色のツートンカラー塗装が、交直流両用車両の証でした。

日豊本線の快速「錦江」 

元グリーン車が普通列車に。いずれも1987年 

  2003年に165系列が全廃された後は、この455系列がJRに残存する最後の「急行形電車」でした。しかし、国鉄末期には既に特急格上げや快速格下げ、新幹線の伸張などに伴って長距離を走りぬく急行列車は衰退しており、455系列使用の急行列車は1985年ごろまでに全廃されました。それで私の記憶の範囲では、ごく幼いときに九州で乗った(ような気がする)のを除いて、「急行」としての455系列の姿は記憶になく、私が同系列に対して持つ印象は主にローカル用に格下げされた後のものです。

  国鉄がJRに変わった1987年ごろにはまだ、あずき色の電車が九州に残っていました。上の写真に写っているグリーン車からの格下げ車両もあり、当時は転換クロスシートだったことを覚えています。しかしこのころから既に、地方オリジナル塗装への変更が行われており、旧塗装は急速に姿を消しました。

九州カラー。この頃には固定座席化されていた模様 

 東日本〜磐梯山の麓で

  東北においては、交流主体の東北本線(黒磯以北)・常磐線(いわき以北)を中心に、普通列車として使用されていました。仙山線快速「仙山」、磐越西線の快速「ばんだい」、東北線福島〜仙台間の快速「仙台シティラビット」など、かつての「急行」を彷彿させる列車もありました。(「仙山」「ばんだい」は、後に愛称なしの快速となりました。)「ばんだい」は郡山〜会津若松〜喜多方間のピストン輸送で本数も多く、優等列車の面影を強く残していました。

快速「ばんだい」、喜多方にて 

ばんだいカラーと東北カラーの組み合わせ 

車内は車端ロングシート化されていた 

  磐越西線には全国でただ1両、半室がグリーン車に改造された「クロハ455」が存在しました。グリーン車部分は設備はそのままで普通車扱いとなっており、私はたまたまその車両に乗車することができました。安定感抜群のゆったりした座席で、実に優雅な気分に浸れました。

クロハ455-1が快速運用に 

  455系列を保有していた3社の中では、東日本の車両が最も良い状態で使われていた気がします。しかし仙台地区への新型車両投入などにより、2007年度中に運用を終えました。

 九州〜南の果てを行く

  九州では、かつて急行として鹿児島本線や日豊本線で活躍しており、山陽新幹線全通前は本州と九州を結ぶロングランもこなしていましたが、ローカル化以後は主に南九州で運用されました。交流・直流両用車両ではありましたが、九州内では交流区間だけを走ることになりました。

  あるときモーター車に乗ると、「ブワ〜ン」というモーター音がけたたましい。普通列車専用となって久しく、それなりの扱いを受けてきたせいなのかもしれませんが、「これで急行料金を徴収してお客を乗せていたのか?」という印象を受けました。

  老朽化に加え、2004年春の九州新幹線部分開業に伴う八代〜川内(せんだい)間の第三セクター化により鹿児島本線を追われ、最後は日豊本線の大分以南で使用されましたが、817系への置き換え、そして北九州からの415系転属により、2007年春をもって定期運用を失いました。なお、南九州でワンマン運転用に使用されている717系は、475系の車体を更新したものです。

九州カラーの編成 

 北陸〜風に吹かれ雪にまみれ

  直流・交流の混在する北陸本線系は、特急は485系、急行は455系列が長距離を走り抜く主要幹線でしたが、1985年までに455系列使用の急行は全廃、以後は北陸地方のローカル運用にあたってきました。北陸本線のほか、かつてデッドセクションのあった湖西線の一部区間、および富山港線(現在では富山ライトレールに移管)で使用されていました。JR東日本・九州の同系列が専ら交流区間で運用されたのに対し、北陸では直流・交流区間をまたぎ、両用電車としての機能を活かしていました。

  「特急街道」の北陸線にあって、特急最優先のダイヤの隙を縫って走らねばならず、例のけたたましいモーター音をうならせて高速走行。冬場には日本海からの厳しい風雪にさらされ、車体はベタ雪まみれ。当然傷みもひどいようで、窓サッシは雨漏りがし、すきまから雪が吹き込んでくる有様でした。

  なお北陸の475系は、前部の方向幕部分がふさがれていますが、これはつららによる破損が相次いだためだとのこと。これもまた北陸ならではの悩みです。

風雪に耐える北陸の車両 

  特急車両が681・683系によって世代交代していったのに対し、ローカルでは国鉄世代の455系列、583系改造の419系、および475系の車体更新車である413系といった、足回りが経年30年を超えるような車両ばかりが延々走り続ける状況が続いてきました。急行格下げの455系が、特急電車からの改造である419系とともに、特にてこ入れされることもなく中途半端な構造のまま存置されたというのが、北陸ローカルの待遇を物語っています。JR西日本管内に他に交流区間がないことや、北陸新幹線進捗の兼ね合いもあって、新車投入には及び腰だったのでしょう。結局3社の中で最も455系が長く存続することになりました。

419系との並び 

車内。デッキ扉が撤去されている 

  2006年11月に、ようやく北陸向けの新車として521系が登場。時を同じくして直流化された敦賀以南の区間に475系が入ることはなくなりました。さらに521系の増備が進んだことで、2011年には419系は全廃、475系列も金沢以東に限定されるようになりました。その後は521系の増備に伴って次第に勢力を縮小し、北陸新幹線の開通した2015年3月に運用終了。413系の編成に組み込まれて七尾線で運用される455系車両が2両だけありますが、2020年に置き換えられる見込みで、これをもって「急行形電車」は完全に終焉を迎えることになります。

  なお晩年には、急行カラーに戻された編成がリバイバルとして登場したほか、塗装簡略化のために青色一色になった編成もありました。(いずれも私自身はお目にかかる機会がありませんでした。)

  97年まで急行運用が残り、ローカルでも比較的大事に使われ、最後まで急行形の威厳を保った165系とは対照的に、455系列の急行としての役割は早々に終わり、その後は主に「交流区間を走れる」という存在意義によって残され、酷使されてきた感があります。民営化時点で既に急行としてかなり走りこんでいたであろうことを考えると、そこからさらに30年近くを走り抜いた455系には、本当にご苦労様と言いたくなります。

 

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